昭和38年、連続爆弾魔「草加次郎」が世間を騒がせている最中に、地下鉄で爆発事件が起こった。
たまたま現場に居合わせたトップ屋の村野善三は、またも「草加次郎」が動いたとみて取材に走る。だが女子高生殺しの疑いをかけられ、思いどおりに動けない。その中で村野は思いがけない真実を知る。
評価=☆☆☆ (5つ星が満点)
主人公の村野善三は、『
顔に降りかかる雨』と『
天使に見捨てられた夜』に登場する探偵の村野ミロの父親です。
「トップ屋」って何だろうなーと思ったら、週刊誌のトップ記事を書くフリーランスの記者のことでした。
村野が「私、こういう者です」と差し出す名刺には、『週刊ダンロン 特約記者 村野善三』とあり、それを見た刑事は「なんだ、トップ屋か」と蔑むように言います。トップ屋は、警視庁に記者クラブを置く新聞社の記者より一段も二段も低く見られています。
しかしトップ屋集団「遠山プロ」の男たちには、「おれたちが『週刊ダンロン』を支えている。警察発表の通りにしか記事を書けない新聞より、おれたちのほうが面白い記事を書ける」という自負があります。
村野は記事を書く筆力もさることながら、調査能力に秀でています。のちに記者から探偵へ転身したのは、そういう素地があったことも理由の一つでしょう。
そのころ『週刊ダンロン』編集部は、トップ屋を排除して社員だけでやっていきたい意向を見せ始めていました。『ダンロン』に限らず業界全体に「トップ屋はもう終わりだ」という空気が漂っています。
桐野作品はどれを見ても、こういう諦めの空気が漂っているようです。
探偵ミロシリーズでも、村野ミロは愛に傷ついているし、探偵業に情熱があるようにも見えないし、事件の関係者と寝ちゃうし……。諦めというか、けっこう投げやり。そんな調子で大丈夫かなあと思います。読んでいて、こんなに安心できない探偵も珍しいんじゃないかな。
そういう不安感と、結構オドロオドロしい事件の背景もあって、先を読みたい気持ちにターボエンジンがかかったのがミロシリーズでした。
いっぽう本書は、後年の村野善三の姿を知っている分、ターボエンジンがかかるほどのザワザワした不安感はなく、諦めの空気だけが澱んでいる。
それに連続爆弾魔であるはずの「草加次郎」が、途中から爆破をしなくなっちゃうんですよね。
ところどころに「これが草加次郎の正体か?」と思わせる人物は登場しますが、物語の焦点は女子高校生殺人事件に移ります。草加次郎のほうは……あれ? ん? うーん。そういうオチか。ちょっと不完全燃焼の感は否めない。
しかし村野善三は一連の事件で大切な友人を亡くし、トップ屋からの転身を余儀なくされます。彼にとっては青春時代の苦すぎる終幕であり、人生の大きな節目でした。
昭和38年に流行したファッションや人気スターの名前が文中にたくさん織り込まれていますが、それらと村野の青春時代の思い出は分かちがたく結びついているのでしょう。亡くなった友人は当時のファッションのまま、村野の記憶の中で永遠に生きつづけるのでしょう。
