吉田修一【長崎乱楽坂】 

温泉旅行の楽しみは、風呂をわかす手間をかけずに真っ昼間からドップリ湯につかる――というところにあるけど、そういう「非日常」の中ではなくて、日の高いうちに誰かに風呂の用意させて殿様みたいにザブザブやることが「日常」になっちゃってるのは、いかがなものかと思うわけです。

(お仕事の都合で入浴がどうしても日中になるというお人は別ですが)



本書の舞台である「三村」さんの家はいわゆる極道。背中や腕に刺青のある若い衆が集まる。日の高いうちから風呂に入り、その後はパンツ一丁で酒盛りである。

まだ幼い「駿」と「悠太」はそんな家に住んでいる。彼らの母親は夫と死別して、実家である三村家に戻ってきた。

生活のためには仕方ないが、どう見ても子供の教育にはよろしくない。それを母親は自覚しているとは思えない。獣みたいな男に「姐さん早く早く」と背中を押されるようにして、たびたび家の離れに入り浸る。男たちのために風呂をわかし、かいがいしく酒盛りの世話をする。

この「姐さん」、私は嫌いだ。見た目にはカワイイ女だろうけど、要するに自活する術(すべ)がなくて男たちに頼ってるだけだ。かといって相手は極道だから逆らうのも怖いし……。こういう状況が男たちを増長させるんだよなー。



それでも三村一家の繁栄が永久につづけば、姐さんも駿も悠太も、少なくとも食いっぱぐれは避けられるだろうが、だんだん一家が傾いていく。

成長した駿と悠太は、この家にいても良いことはないと分かっている。が、実際に二人が歩む人生はまったく別々のものになった。二人とも「この家を出るのだ」という思いは同じだったのに。

家に残った者は、目も当てられないようなグータラぶりである。まっとうに働かず、離れに女を連れ込み、日の高いうちから風呂につかる。幼い頃に見た男たちの暮らしをそのままなぞっている。

そんな調子でこれから先どうするんだよ……と思っているところに、虚脱感がドッと降るかのようなエンディング。



「極道の家で育ちました」系の小説といえば、宮尾登美子【鬼龍院花子の生涯】を思い出すけれど、こちらはヒロイン「松恵」が実にたくましい。

鬼龍院花子の生涯 鬼龍院花子の生涯
宮尾 登美子 (1998/01)
中央公論社

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でも本書のグータラな主人公だって、最初からグータラに生きたかったわけではない。夢も希望もあったのだ。

その夢を主人公は自分でつぶしたのか、あるいは最初からグータラ人生が運命づけられていたのか。

あなたはどちらだと思います?



長崎乱楽坂 長崎乱楽坂
吉田 修一 (2006/12)
新潮社

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[2007/01/25 15:29] や行の作家 | TB(1) | CM(0)

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長崎乱楽坂-吉田修一

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[2007/11/14 13:34] URL あれやこれや