親譲りかどうかは分らぬが、気が短くて子供のときから損ばかりしている。
図書館へ行った時分、小林信彦【うらなり】を借りた。「うらなりの視点から見た『坊っちゃん』」とある。ならば夏目漱石【坊っちゃん】を読まねばならぬ。
借り出しの手続きを早々に済ませ、書店へむけて自転車をこぎだして、はたと思い至った。漱石の本なら買わずとも、図書館で借りればよい。しかし途中で引き返すのも癪に障る。そのまま書店に行って真っ直ぐ文庫本コーナーへと進んだ。
品揃えの悪い書店だが、さすがに新潮文庫版の【坊っちゃん】はあった。なるほど「文豪」と呼ばれるだけのことはある。
だが金之助(=漱石の本名)はオギャアと生れた時から文豪だったのではない。東大を出て松山中学で英語を教えていた。世間にとって「有用な人」であらねばならぬという強迫観念が、文学への憧れを抑えている。このまま一生を終える気はないが、東京で夢をかなえるより先に妻をもった。働かねばならぬ。
妻の鏡子は名家の令嬢で、二度か三度、顔を合わせただけで結婚が決まった。この時代には別段、珍しい話ではない。
新婚早々、「俺は学者で勉強しなければならないのだから、お前なんかにはかまっていられない。それは承知してもらいたい」と鏡子に言って聞かせた。金之助は学歴のない鏡子を見下している。
「よくってよ。しっかりお勉強あそばせ」と鏡子は応えた。
鏡子は天真爛漫な女である。どうにかなるだろうと楽天的に構えたが、夫にかまわれぬ寂しさがしだいに募った。この当時、夫婦は熊本で暮らしていた。鏡子にとっては未知の土地だ。悩みを話せる友達もいない。トランプ占いの結果に一喜一憂する。精神不安と流産が重なり、思い余って自殺を図った。
気がつくと夫の心配げな顔がある。鏡子は夫の愛情を感じた。
が、金之助の胸中には不安が渦を巻いている。複雑な家庭環境に育った金之助は、実父から厄介者扱いされ、養親からは金を用立ててくれと度々頼まれた。この上、妻に死なれては到底、生きた心地がせぬ。
夫婦は見つめ合ったが、互いの思いは微妙に食い違っていた。
やがて金之助は英国留学に出た。金銭的にも精神的にも不安の絶えない二年であった。帰国後は東京で大学講師をつとめながら、夏目漱石の名で小説【吾輩は猫である】を書き、好評を得た。
文学志向の若者達が「先生、先生」と言って金之助を慕う。小説執筆の依頼も来る。順風満帆と見えた夏目家の暮らしだが、金之助にはまるで経済観念がない。浮世離れした学者肌だから、飲む・打つ・買うといった放蕩はしないものの、取り巻きの若者達には惜しみなく援助する。親族が生活に困っていると聞けば金を渡してやる。
その裏で鏡子は生活費のやりくりに心を砕き、子供達の面倒をみた。もともと神経症の傾向がある金之助は、子供達の泣き騒ぐ声に我慢がならない。顔が赤黒くなると危険信号だ。「やかましい!」と怒鳴って卓袱台をひっくり返した。
「自分の小説がうまくいかないからって、癇癪を起すなんて」と言う鏡子を、金之助は投げ飛ばした。子供を殴りつけることもある。今の時代ならドメスティックバイオレンスだ幼児虐待だと言われるのは間違いない。
だが鏡子と金之助は離婚しなかった。
人が結婚するときは、顔でも財産でも人柄でも何か一つ、心をひかれるものがあればいい。逆に、ほころび一つが広がって大きな穴になり、離婚に至ることがある。
他人の目にはほころびだらけと見える夫婦が添い遂げることもある。
結婚する理由・離婚する理由は簡略に説明できても、離婚しなかった理由は百の言葉を尽くしてさえ、他人に分るように説明するのは難しいものかも知れぬ。