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ある事件にまきこまれ、成瀬純一(玉木宏)は脳に致命的な損傷を受ける。だが最先端の医療技術によって一命をとりとめた。 恋人の葉村恵(蒼井優)は帰ってきた純一を温かく迎えたが、事件前の純一とは様子が違うことに気づき、不安に駆られる。 東野圭吾の同名小説を映画化した作品。 評価=☆ (5つ星が満点) お正月の深夜にテレビで放送されたものを録画して、いまごろ見ました。 うーん……。 キャストは悪くないと思います。 けなげに恋人を支える女の子を演じる蒼井優は可愛いし、事件前と事件後のキャラの違いを演じ分ける玉木宏はなかなか芸が細かい。 しかしストーリーの要所要所がどうも不自然だし、彼らの行動ひとつひとつの動機がよくわかりません。それゆえ少しも感情移入できませんでした。 泣きモノの作品ですが、これでは泣きようがない。 たとえば純一(玉木宏)が、大切にしている日記をある人物に預けるシーン。 彼は脳の移植手術を受け、脳の提供者の人格に大きく影響されて、もともとは優しい人なのに、たいへん疑い深くなっています。 なのに、日記を預かろうという相手に対してはとても無防備。彼は「裏切らないか?」と聞き、相手が「裏切らない」と答えただけで、簡単に信用して日記を渡してしまう。 あとで「裏切ったなぁ〜〜〜」と吠えても、それは自業自得です。人を裏切る人間が「私は裏切りますよー」などと言うわけがない。 そもそも「脳を移植して、その提供者の人格に大きく影響される」という設定からして、すんなり受け入れられません。 こんなことが本当に起こりうるのか。脳の専門家に質問してみたいです。 
モロッコ、アメリカ、メキシコ、東京と、4つの場所で紡がれる別々の物語が、一つの事件によってつながっていく。言葉が通じない、心が通じない人間たちの姿をリアルに描く。 評価=☆☆☆☆ (5つ星が最高点です) この作品を劇場で見た友人が「あんまり良くないよ」と語るものですから、べつに見なくてもいいかなと思っていました。でも菊地凛子が頑張ってアカデミー助演女優賞候補に挙がったことですし、まあ見るだけ見てみようというわけでDVDをレンタルしました。 これは悪くないです。 でも監督さんが徹底的にリアリティにこだわったせいか、目をそむけたくなるシーンがいくつかありました。ビジュアルの印象は強烈ですから、映画館の大きなスクリーンで見ると辛いかもしれない。 私は自宅でDVDを見たから「ううっ……」ぐらいで済んだものの、友人と一緒に映画館にいたらどんな反応をしたか分かりません。麻酔なしで傷口を縫う場面の大写しなんて勘弁してほしい。 バベルとは旧約聖書の「創世記」に出てくる町名です。人々は天まで届くバベルの塔を建てようとした。神はその傲慢さに腹を立て、人々の言葉を混乱させた。だから世界中にたくさんの言語ができた、というお話。 映画ではモロッコの遊牧民、旅行中のアメリカ人夫婦、その子供たちを世話するメキシコ人のベビーシッター、東京の聾学校に通う日本人の女の子、その父親……と、いろいろな人々が登場しますが、根っからの悪人は一人もいません。 ただ、言葉が通じなかったり、誠意が相手に伝わらなかったり、偏見があるせいで相手の言葉を悪く解釈したりして、物事がうまく運ばない。「バベル」というタイトルの意味はそういうことです。 ブラッド・ピットとケイト・ブランシェットが演じるアメリカ人夫婦は、旅行中に思いがけない事件に巻き込まれ、妻が負傷したためモロッコで救助を待ちます。 ブラッドは渋かったなあ。負傷した妻がトイレに行けず、夫が手を貸して用を足させるシーンは感動的でした。 アカデミー助演女優賞候補に挙がった菊地凛子は、体当たりの演技で、「がんばったで賞」を授与したい感じでした。威勢よく脱いじゃってます。でも、あまり売れてない女優さんが、いきなりハリウッド映画に出演する機会を与えられたらフルヌードでも何でもやるでしょう。ためらえばビッグチャンスを逃します。そういう意味で彼女の意欲を買いたいところですが、演技そのもので見ればケイト・ブランシェットのほうが上ではないでしょうか。 それでもラストシーンの菊地凛子は強く印象に残りましたね。 父親(役所広司)との関係がうまくいかないチエコ(菊地凛子)が、父親にすがって泣きます。 そのシーンに至るまでの経緯を考えると、父と娘の気持ちが完全に通じ合ったとは思えないんです。たぶん二人の間には気持ちのズレがある。ズレたままボタンをかけてしまった感じ。 そしてモロッコ・アメリカ・メキシコ・東京の4つの物語は、ようやく一つの環としてつながりますが、つなぎ目それぞれにズレがあって、きれいな円になりません。 世界は数多くの誤解と理解で成立している。そんな気がします。 
夏休みで帰省中のハリー・ポッター(ダニエル・ラドクリフ)のもとへ、屋敷しもべのドビーが現れ、ホグワーツ魔法学校に戻ってはいけないと警告した。帰省先で肩身の狭い思いをしているハリーは、ホグワーツこそが唯一の自分の居場所と感じている。そこへ戻れないとはどういうことか。 ドビーの妨害をふりきってロン(ルパート・グリント)の空飛ぶ車でホグワーツへ戻ったハリーは、ハーマイオニー(エマ・ワトソン)ら親しい友人と再会し、新学期を迎えた。 だがホグワーツの生徒が石にされる事件が立て続けに発生。伝説の「秘密の部屋」が「スリザリンの継承者」によって開かれたのではないかという疑惑が広まる。ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人は一連の事件の謎を解こうと奔走する。 評価=☆☆☆ (5つ星が最高点です) テレビ放送を録画して見ました。いや〜長い。テレビだからCMが入るせいもありますが、3時間ほどの録画時間。劇場やDVDでも2時間半ぐらいになるのではないでしょうか? でも、空を飛んだり魔法のアイテムがいろいろ出てきたりで、見る者を飽きさせません。 それにイギリスの風景がいいですね。 ヨーロッパでは建物が石造りで、何百年も昔から使われていることが多いです。つまり伝統の蓄積がある。地下室を探せば何か由緒のあるものが出てきそうな、あるいは物陰に何か得体の知れないものが潜んでいそうな雰囲気が漂っています。 かたや日本では、明治維新や敗戦によって伝統の蓄積が中断したところへ、新しい文化がどんどん積み重なっていった。建物も木造が多くて、しょっちゅう建てたり壊したりしている。 われわれがテレビで時代劇を楽しんだ後、窓の外へ目を転じれば、まったく違う近代的な世界が広がっていて、時代劇は本当に「劇」でしかない。たとえば黄門様ご一行がどこを旅しようと、心の底では「しょせん京都の太秦の撮影所だし」などと思ってしまう。 ところがイギリスを舞台に「ハリポタ」みたいな魔法の物語を作ると違和感がないし、伝統の蓄積が物語に奥行きを与えていると思うのです。 とか言いながら、私は「ハリポタ」シリーズについては原作小説も読まず、テレビでオンエアされる映画を見る程度です。それぐらいで私は充分かな。 ストーリーは大ざっぱに言えば「水戸黄門」と同じだもの……。なにかトラブルが起こるけれども最終的には黄門様やハリーが登場して一件落着、というお話。 ただし、勧善懲悪のパターンを繰り返しながらハリー少年が成長してゆく点が「水戸黄門」とは大きく違うところ。 どんな学校でも入学があれば卒業があります。いつかはホグワーツを卒業するであろうハリーがどんなイケメン青年に成長するか。ストーリーよりもそちらの楽しみが大きかったりして(笑)。 
「先が見えるとイヤになって、先が見えないと不安になる」と言ってフリーターを続ける里中(宮藤官九郎)は、浅草の高齢者向けマンション「東京パティオ」のレストランでアルバイトをすることになった。 その第一日目、住人の藤原(田中邦衛)が急死。藤原の魂は里中の身体に乗り移った。 どうやら藤原には現世でやり残したことがあるらしい。 これはオンラインDVDレンタルで借りました。ご存じのかたもいらっしゃると思いますが、オンラインDVDレンタルではサイト上で予約リストを作っておくと、リスト上位から順番にDVDを送ってくれます。 ここしばらく自分の予約リストを見ていなかったので、届いたものを開けてみて、「『福耳』ってどんな映画だっけ?」「なぜ私はこの作品を選んだの?」と、しばし考え込みました。アホですね。 たぶん「宮藤官九郎」で検索をかけて、『福耳』というタイトルが気に入ってリストに入れたのだと思います。 それゆえ作品についての予備知識はゼロです。しかしこれはなかなか楽しめる作品でした。 福耳とは「耳たぶの大きな耳」のことで、福耳の人はお金がたまるなどと昔から言われていますね。 里中(宮藤官九郎)は福耳を持ってはいますが、フリーターです。高齢者向けマンション「東京パティオ」に勤め始めたのは、ご老人のお役に立ちたいというよりは、自分がそのマンションに入ることができて家賃が浮くし、マンションのスタッフの信長さん(高野志穂)に心ひかれたから、というわけです。 (ちなみに福耳は宮藤官九郎さんのナマ耳ではなく、特殊なメイクをほどこしたもののようです) いっぽう藤原(田中邦衛)の魂は、里中の福耳をいたく気に入って、その身体に乗り移りました。「東京パティオ」のマドンナである千鳥さん(司葉子)に想いを告げられないまま急死したため、この世に未練を残しているのです。 里中の身体には二人分の魂が宿っていますが、里中は信長さんに近づきたいし、藤原は千鳥さんに近づきたい。別々の行動を身体ひとつでこなさなければなりません。 しかし双方の女性には里中の行動が奇異に映って誤解を与える。千鳥さんを慕う男性たちも、若い里中にマドンナを取られてなるものかと実力行使に出る。というわけで東京パティオにちょっとした騒動が巻き起こります。 幽霊系コメディって目新しくはありませんが、間違いのない面白さがありますね。そして間違いのない感動がある。 藤原(田中邦衛)が千鳥さんの本当の想いを知る場面では泣かされたし、藤原と里中の別れの場面もよかったなあ。 ラスト近くで、藤原の甥が遺言にしたがって遺骨を海にまくシーンもキラキラしてきれいでした。しかし同時にものすごく切なかった。もし私自身が親族の遺骨を海にまくことになったら、ボロボロボロボロみっともないほど泣くだろうなあ。 さて本作は高齢者向けマンションを舞台とした映画なので、大ベテランの役者さんが多く出演しておられます。 田中邦衛さんの泣きの演技って凄いと思います。片目からツーッと涙が流れるんですね。号泣というわけでもないのに、かえって切なさがかもし出されるようです。 さらに凄いのは司葉子さんの美しさ。やはり女は何歳になってもこうありたいものですねえ。 そして……さらにさらに凄いのは宝田明さんの女装でございます。これは驚く。とってもおきれいでいらっしゃいます。一見の価値ありです。 
藩主の毒見役をつとめる三村新之丞(木村拓哉)は、貝の毒にあたって失明し、妻の加世(檀れい)の献身的な世話を受ける。しかし加世に男の気配を察して心おだやかではいられない。 黙して語らぬ加世の真意を探り当てたとき、新之丞が守ろうとした「武士の一分(いちぶん)」とは。 木村拓哉さん主演の映画『HERO』に沸く世間を尻目に、昨年末の映画を今ごろレンタルDVDで観ている私でございます。 この映画を観る人たちは、大まかに言って、 ・「私は木村拓哉ファンだから彼の出演作は絶対に見るの♪」という人 ・「キムタクってそんなにイイの?」とか、「キムタクにこういう渋い時代劇の主役が務まるのか?」とか、木村拓哉さんに対して何らかの疑問を抱いている人 の二通りに分かれるだろうと思います。私はどちらかというと後者。 いずれにしても、注目の的は木村拓哉その人に他なりません。 しかし映画を観て分かりました。これはあくまでも 山田洋次監督の作品であって、木村さんは作品の素材の一つにすぎないのです。 テレビ局では木村さん主演のドラマ制作が決まると、もう番組はそれしかないのかと言いたいほどに派手な宣伝をしまくります。そしてドラマを見ると木村さんがカッコよく見える演出がなされている。 そういう演出をしたくなるスター性が木村さんに備わっているのだろうし、それによって視聴率が上がるのだから、キムタク中心の番組作りをやめろというほうが無理な話ですけれど。 その点、山田監督は木村さんのスター性を野放図にまきちらさず、素材のひとつとして調理し、映画全体を見事な一品料理に仕上げているのです。 味つけは薄味ながら繊細で、笑いと涙の加減が絶妙。 これまで見えていた新之丞の目が急に闇に閉ざされることは、とても重々しい事態に違いありませんが、決して「重苦しい」作品にならないように、ほどよく笑いをとってガスを抜くんですね。 涙をそそる場面もすごくいい。 貝の毒にあたって視力を失った新之丞は、加世に目のことを黙っています。それでも加世は気づいてしまう。なぜ大切なことを言ってくれなかったのかと新之丞を責めます。 おまえを心配させたくなかったから、と言い訳をする新之丞に対し、加世は 「私はあなたのことを心配したいのでがんす! 心配したいのでがんす……!」と言って泣き崩れます。ここは私も泣きました。藤沢周平の原作小説にはないセリフですが、決して原作の味わいを損ねてはいないと思います。 原作の『盲目剣谺返し』は、【隠し剣秋風抄】に収録された50ページにも満たない短篇で、盲人となった新之丞が鋭い感覚で家庭内の微妙な異変を察するところから始まります。 毒見役のお役目の様子などは、さりげなく文中に織り込まれている程度で、そこは映画では多少の肉づけをされているものの、無理やり場面を増やした印象は全くありません。 すべての場面、すべてのセリフに意味があり、とても滋味ぶかい作品でした。 
福島県いわき市の常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)には子供のころ連れて行ってもらったことがある。私を含め、そういう思い出を持つ宮城県民は非常に多いと思う。 夏休みで、その日は「ピンクレディーが来る!」という話もあり、すさまじい混雑ぶりであった。でも私たちは最初からピンクレディー目当てというわけではなかった。なにも知らずに行ったら、たまたまピンクレディーの公演日だったのだ。チケットとか整理券の発行はなく、だから地元の人たちは「早ぐ行っていい場所とっぺ!」なんて話をしていたのかもしれない。 私たち家族は遠くからピンクレディーを眺めたが、その姿は本当に小さかった。「どっちがミーちゃんで、どっちがケイちゃんだが、わがんねぇ」と私はブツブツ言った。 その常磐ハワイアンセンターが昭和40年代に建設されたもので、それ以前のいわきが炭鉱で栄えた町だったなんて、今の今まで知らなかった。 手元の百科事典で調べてみると、いわき市は「常磐炭田」で栄えたが、時代が変わって石油が多く使われるようになり、石炭の需要が減って、1976年には全面閉山したということだ。 全面閉山の前の段階で、大幅な人員削減があり、さびれる一方の町を救うために登場したのが「常磐ハワイアンセンター」である。ハワイアンというからにはフラダンスショーが欠かせない。 映画はフラダンスのダンサーを募集するところから始まる。 ダンスの講師として、平山まどか(松雪泰子)が東京から呼ばれた。黒や茶色や灰色で塗りつぶされたような町の景色に、まどかの赤い口紅、白い肌、鮮やかな色づかいのコートがくっきり映える。 顔をススで真っ黒にした炭鉱夫たちは「ハワイが来たぁ!」と口々に叫んで興奮するが、まどかは「バッカじゃないの!?」と高飛車な態度を取る。 「気取ってんじゃねえ! ハワイで山をつぶす気か!」と町じゅうに怒号が飛び交うなか、ダンスのレッスンに集まった女たちは未経験者ばかりが4人。まどかは気が重い。しかし東京に帰れない事情があり、ここで講師をやる以外に道はなかった。 そうこうするうち、山に人員削減の大ナタが容赦なく振るわれる。 男たちに解雇の辞令が配られるシーンで、高橋克実さんが「30年も働いてきたのに、最後はこんな紙きれ一枚で終わりかよ!」といった意味のセリフを言う。 「ごんながみぎれいぢまいで」というふうに発音しておられるが、ここは 「こったらかみっコいぢまいで!」とすると、より東北人らしい感じが出る。東北弁はけっこう難しいよ。なんでも濁点つけて発音すればいいというものではない。(ただし私は宮城県の人間で、ふだん話す言葉は福島の方言とは違うから、あまり偉そうなことも言えないが) で、解雇の決まった男が不機嫌なまま帰宅すると、娘の早苗(徳永えり)が幼い弟や妹たちの前でフラダンスの衣装をうれしそうに見せびらかしている。 「なにやってんだ!!」 男は怒鳴り、早苗の顔を殴りつけた。 事態を知った平山まどかは、「……ぶっとばしてやる」とつぶやいて、銭湯の男湯にのりこみ、男と格闘を演じる。 松雪泰子ってこういう激しい役が似合う。カッコいい女優さんだと思う。 しかし平山まどかの奮闘もむなしく、早苗はダンスを辞めることになった。男は夕張炭鉱に新しい職を得て、一家は北海道へ転居することになったのだ。 早苗は親友の紀美子(蒼井優)に夢を託し、旅立ってゆく。 このシーンは泣けた。映画館で私の隣に座っていたのは母である。私が泣いたシーンで、母は私と同じように涙をぬぐっていた。ああ血は争えぬ。 やがてハワイアンセンターのオープンが迫り、ダンスのレッスンも熱を帯びてくる。 フラガールたちがプレオープンイベントのステージへ出ようという直前、「炭鉱で落盤事故が起きた」という知らせが入る。小百合(南海キャンディーズの山崎静代)の父親が重傷を負ったらしい。 平山まどかは常々、「プロのダンサーは親の死に目にもあえない厳しい仕事なのだ。そんなときでも笑顔でステージに立つのがプロなのだ」とフラガールたちに言い聞かせているが、山の仕事の厳しさを実感し、そうも言いきれないと思い直す。 「……今日は帰りましょう」 すると小百合がオンオン泣きながら訴える。 「踊らせてくんちぇ! そのほうが父ちゃんもきっと喜ぶから!」 南キャンしずちゃんの泣きの演技は凄いぞ! 相方の山ちゃんにはちょっと気の毒だが、しずちゃんは女優としてもっともっと売れる気がする。笑った顔も愛嬌があるし。 うちの母は女優・山崎静代のファンになったようだ。 それに、ダンス講師役の松雪泰子、フラガールのリーダーの紀美子を演じる蒼井優、二人が踊る場面はなかなかの迫力である。 ストーリー的にはこれ以上くわしく説明しなくても、皆様にはおおよその見当はつくかと思う。 「お約束の展開」「要するに泣きモノ」と言ってしまえばその通りだが、田舎町が人々の底力によって活気を蘇らせ、閉塞感をぶち破る様子が実に良いではありませんか。 ただし「昭和の空気感が懐かしい、あったかい」なんてコメントはしたくない。 世の中、昭和が「あったかい」と思う人たちばかりではない。昭和の時代に苦労を重ねた人々が大勢いた。だからこそ現世の繁栄がある。 そのことに感謝すべきであって、「昭和は良かった、あのころに戻りたい」と後ろ向きになるばかりでは、平成の閉塞感をぶち破ることはできない。 映画『フラガール』公式サイト
テレビ好きの私は毎朝、新聞を見て「今晩は何を見ようかな」と考えるのが習慣になっている。とくに金曜の夜から日曜にかけて、お気に入りのテレビ番組が多い。 『ぐるぐるナインティナイン』、『メントレG』、『R30』、『鉄腕DASH』……など、リアルタイムで見たり、録画したものをまとめて見たりしていくと、結果的にTOKIOの国分太一ばっかり目に入る。 TOKIOのメンバーで私が一番好きなのは山口達也である。『鉄腕DASH』で頭にタオル巻いてカナヅチを振るう彼を見ると幸せな気持ちになり、「達也だったら結婚してもいいわ♪」というところまで妄想が及ぶ。どアホである。 (私が吉川晃司ファンであることは、つねづね公言している通りだが、吉川晃司がカナヅチ持ってる姿は想像できない。吉川晃司を生活臭のある風景に置いて想像することができない。あのひとは私にとって永遠のスターでありヒーローなのだ) しかし、こうも国分太一ばっかり見ていると、私の中で「TOKIOの中で好きな人ランキング」が激しく変動する。 国分太一は好感度ではジャニーズ所属タレントの中でも群を抜く。どの番組でもニコニコして、「はい! よろしくお願いします!」と元気がよくて愛嬌があり、年配の俳優ともお笑い芸人ともうまくやれる。高級レストランで美味いものを食べる姿を見ても、「うめー!」なんて思いっきり笑顔で言われると、高いもんばっかりバクバク食いやがってコノヤロウと腹を立てるどころか、「よかったね太一くん♪」みたいな気分になる。 その国分太一が映画【ファンタスティポ】で共演したのは、キンキキッズの堂本剛である。 私はキンキキッズの歌が大好きだ。どミーハーである。 それはそうと相方の堂本光一がダンスに磨きをかけ、ミュージカルの舞台を踏んで、「ジャニーズの王道」をゆくのに比べると、剛は自分がアイドルであることに違和感をおぼえているように見える。でも最近は音楽活動に力を入れ、自分で作詞作曲をするようになって、ようやく自分の立ち位置を見つけたのかな――という気がする。 同じジャニーズでも、かなり色あいの違う2人が映画【ファンタスティポ】に登場するわけだが、この組み合わせは絶妙。 物語は、ミネラルウォーターのメーカー「アルマジロ社」の経営者の鯉之堀金太郎(宝田明)が、長男の鯉之堀トラジ(国分太一)に社長の座を譲るところから始まる。次男のハイジ(堂本剛)は専務となった。 それまでのハイジはアルバイト生活を送り、気まぐれに海外へ行ったりして、それが父には「フラフラしてばかり」と見え、心配でならない。ハイジはハイジで、父に心をひらくことができない。 一方のトラジは愛嬌があって、父親に従順。 父はハイジのことで悩み、「次男講座」というセミナーに行ったりもする。しかし何の問題もなさそうに見えるトラジの心にも、実は深い問題があった。 そんな父親と息子たちの1年半にわたる心の旅を描いた作品。 ただのアイドル映画かと思ったら、意外なほどに話が深い。太一と剛のジャニーズにおける色あいの違いが役柄に反映しているようでもあり、映画を見る私自身の心をのぞくようでもあるが、重苦しさはない。 映像はかなり凝っている。衣装から大道具、小道具のひとつひとつに至るまで、監督さんのこだわりが感じられる。 途中、ややシュールすぎて不気味だったり、意味がわかりにくい部分もある。アイドルがそこまでやっちゃっていいのか、とも思う。こういう作風で、ジャニーズの主要な客層と思われる若い女の子たちの心をつかめるかどうかは微妙かな。映画館から出てきた女の子たちが「ちょっとキモい」とか言うところが想像できる。いまは、映画というと誰が見てもわかりやすい「泣きもの」が主流だからね……。 それでもジャニーズの社長が企画書を見てOKしたから、この映画が出来たわけでしょ? それは凄いことだ。昔のジャニーズ映画と言えば、主役のトシちゃんやマッチが(あたしも古いね)カッコよく見えりゃそれでいいのよ、みたいな感じがあったけど、今は違うんだね。 ラストは主役の2人がジャニーズのアイドルらしい歌で締めてくれる。 解釈の余地がある映画って好きだけど、どミーハーでもある私は、このラストにホッとした。 「ふぁーんたすーてぃぽー♪ いまーでーも おーれたちは♪」 そのフレーズばっかり頭に残って、くりかえし歌ってます。
原作小説の ふわーっとした空気感を損なわない仕上がり。 もちろん小説と映画とを比べると、目に見える違いはいろいろある。 たとえば、原作小説では「博士」の家に通う家政婦が語り手だが、映画では家政婦の息子「ルート」が語り手である。 「ルート」は既に成人して数学教師となっている。新学期を迎え、「これから1年、きみたちの数学を担当することになった。今日は、まず僕のことを知ってもらおうと思います」というわけで、自分の生い立ちやら「博士」との出会いやらを語り出すところから映画は始まる。 「ルート」役を演じる吉岡秀隆が非常によい。 しかし、小説と映画との違いを一つ一つ数え上げるのは、あまり意味のないことだ。 また、この作品に限らず、小説が映画化されると「どんな仕上がりになるか不安」なんて声があったり、完成した映画を見て「イメージが違う」と批判する人がいたりする。 そもそも小説と映画とは別の作品なのだと思えば、あまり腹は立たないと思うんですが、どうでしょう。 原作小説のままでは映像化できない場面というのもあるわけだし。 大らかにいきましょうよ、大らかに。 どう逆立ちしても気にいらねーなーと思う作品は、無理に見る必要もないんだし。 でも【博士の愛した数式】は原作小説を読んだ人も素直に見られると思うよ。 (たとえ素直に見られなくても私は責任を負いません。あしからず) 原作者の小川洋子さんも、ほんの数秒だが登場する。 どの場面か教えろって? それはご自分で見て探しましょう♪
これは「ニート」と「負け犬」と「痴呆老人」の物語である。さらに、「老成(したふり)をしないと外に出られない子供」を追加してもいい。(どれがどれだか詳しく書くと、かなりネタバレになりそうなので控えます) ひとつだけ言うと、ヒロインの「ソフィー」が「負け犬」。 「負け犬」という言い方は個人的には嫌いだけど、世間に流布してる言葉だから皆さんには伝わりやすいでしょ。まぁ言葉は記号である。 女は、あるとき突然、自分が歳をとったことを自覚するものではないだろうか。 もちろん誕生日は毎年くる。が、実年齢も誕生日も自分さえ黙っていれば、正確なところは人にわかりゃしない。 服装や髪形で印象を変え、ドラマも音楽も最新のものをチェックして、とにかく気持ちだけは若くいようと思う。 だけど、あるとき突然、それこそ 魔女に呪いをかけられたかのように自分の年齢を思い知らされる。 たとえば、 ・銀行で手続きの用紙を記入していたら、ハンカチかなにかをポロリと落としたことに気づかず、隣にいたオバちゃんに「あら、 奥さん、落としたよぉ」と言われて、帰宅後ヘコむ。 ・「年下のイケメンと合コンしましょ」と言われ、浮かれて行ってみると、本当にイケメンがいた。いい感じに会話もはずみ、メールアドレスも交換した。そしてメールを送ったが、あたりさわりのない返信が来るばかり。「この人は 年長者に気を使っているだけだ」と私は気づく。やがてイケメンは私よりも年下の可愛らしい女性と結婚することになったと聞いて、ヘコむ。 ・今すぐ転職する必要はないけど、新聞の求職欄ってどんなものかな、と何となく見ていくと、ことごとく 年齢制限があり、ややヘコむ。 ……以上、2割は虚構、8割は実話。 さて【ハウルの動く城】のソフィーは、魔女の呪いで老婆の姿に変えられ、しかも呪いをかけられたことを他人に話すことができない。(そりゃ私も同じ。自分の歳を自覚してヘコんだなんて、人に話せないもん) ソフィー(声:倍賞千恵子)は周囲の人々に「ひどい風邪なの」と嘘をつき、こっそり旅立つ。 人里はなれた山奥に入っていって、そこでイケメン魔法使いのハウル(声:木村拓哉)と出会うのである。 ……そのあとはDVDで見てください。 やっぱりジブリアニメは面白い。アマゾンの読者レビューではいろいろ書いてあるけど、ぐだぐだ細かいこと言わずに、とにかく素直に見るのがいい。 倍賞さんもキムタクもプロである。巧い。 絵は相変わらず、ものすごく美しくて精密。ハウルの動く城って足があるのね。その足の動きのリアル感ときたら! ちょっと恐ろしい気さえした。 それと、ジブリアニメの最大の特徴である 滑空する場面の気持ちよさも健在。 そしてソフィーが偉いのは、 ヘコまないこと。 見た目が老婆になって、呪いを解く方法もわからないんだけど、まずは「いま自分ができること」を一生懸命やる。 イケメンのハウルも、やがてソフィーの真の乙女らしさを見抜いてくれるの♪ これって 女たちの永遠の夢をアニメ化した作品と言えるのではないかしら♪ 全国の独身女性の皆様、【ハウルの動く城】を見てヘコまずに頑張りましょうね。 あたしも頑張るからっっっ♪
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