福澤徹三【すじぼり】 

北九州でデザイン系の大学に籍を置く21歳の亮は、ろくに授業に出ず、就職活動もせず、アルバイトもサークル活動もせずに無為な日々をすごす。そんな折り、思いがけずヤクザと知り合いになった。

「カタギで生きるなら二度と来るな」と何度も言われた亮だが、任侠の世界に強く心をひかれていく。

第10回大藪春彦賞受賞作。


すじぼりすじぼり
(2006/12)
福澤 徹三

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評価=☆☆☆  (5つ星が最高点です)


チャラチャラした若者が性根をたたきなおされて、自分を知り、世の厳しさを知る物語。



アルバイト先のコンビニエンスストアが潰れて、お金がない。かといって別のアルバイト先を探す気力も薄い。大学へ行っても授業がつまらない。就職活動には出遅れた。彼女もいない。

亮は「なにか面白いことねェかなあ」と言いながら、友達に誘われるまま大麻に手を出し、夜の街へ繰り出します。



地方と都会の経済格差が広がる昨今。私も地方生活者として実感するところですし、亮の行き詰まり感も、まったく分からないわけではないけれど、


もう少しシャキッとしろよ!


という苛立ちを感じます。



そんな亮がヤクザと深くかかわり、結果的には「性根をたたきなおされる」ことになるのですが……相手はヤクザですからね。

たしかに人生観は間違いなく変わったはずです。名ばかりの友達は去り、毛嫌いしていた父親との関係も変化する。亮のチャラチャラな部分が少しずつ減っていくのは感じられます。でも出会った相手はヤクザですから。

亮は大人への階段を昇っているのか、それとも堕落への階段を降りているのか。

いずれにしろチャラチャラな日々のツケはあまりにも大きい。でも亮は大きなツケを背負って生きていくしかないんでしょうね……。すごく苦いラストシーンでした。



妄想キャスティング。

主人公の「亮」に、上地雄輔。

上地雄輔




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[2008/02/07 16:24] は行の作家 | TB(0) | CM(2)

エミリー・ブロンテ【嵐が丘】 

荒涼とした景色の中にそびえる二つの屋敷は、〈嵐が丘〉、〈鶫の辻〉と呼ばれている。

〈鶫の辻〉を借りることになったロックウッドは、〈嵐が丘〉の住人が本の余白に書き残した日記のような文章を見つけ、強く興味をひかれた。この二つの屋敷にはどんなドラマが隠れているのか? 〈鶫の辻〉で長く働いているディーンおばさんなら、なにか知っているに違いない。

ロックウッドの狙いは当たった。おしゃべり好きのディーンおばさんは、〈嵐が丘〉の主人に拾われて育ったヒースクリフと主人の令嬢キャサリンとの愛憎劇を語り始める。


嵐が丘嵐が丘
(2003/06)
エミリー・ブロンテ、鴻巣 友季子 他

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評価=☆☆☆  (5つ星が最高点です)

うーん。これが名作か。

たしかに19世紀においては画期的な小説だったのでしょうね。それが現代まで読み継がれて、新訳も出たわけですから、やはりこれは「歴史に残る名作」と呼ばねばなりません。

中身はお昼の連続ドラマみたいです。人間のエゴイスティックな部分をぐわぁーっと拡大して、どーんと大盛りにして提供してくれる。家庭内暴力やら育児放棄やら、そりゃもうイヤになるほど名作ですわ。



新潮社さんでは本書を「恋愛小説」と位置づけていて、たしかに恋愛っぽい場面もあるにはある。たとえばヒースクリフとキャサリンが手に手をとって涙にくれながら口づけをかわしたりとかもするわけです。

病床のキャサリンは余命いくばくもない。ヒースクリフは誇れる家名も財産も持たず、いくらキャサリンを愛しても結婚など夢のまた夢。

ならば残り少ない二人の時間を最後の一秒まで大切にすごせばいいではありませんか。

しかし二人は別れの辛さに耐えかねて、「なんて図太いのかしら! わたしが死んだあと何年生きるつもり?」とか、「おまえ、悪魔にでもとり憑かれているのか? 死にかけているってのに、俺にそんな口をきくとは」とか、もう言いたい放題、やらずぶったくりのデスマッチです。



だいたいにしてヒースクリフは別れが辛くなるほど魅力的な男なんだろうか? どうも私にはわからない。

まあ彼のねじくれた性格は不幸な生い立ちが一因であり、同情の余地もないことはない。

それにキャサリンは幼い頃からヒースクリフと一緒に暮らしているので、物心ついたときには「好き」という気持ちが理屈抜きで心の中に根をはっていたとも考えられます。

そこへヒースクリフに心ひかれる女がもうひとり現れて、駆け落ちを真剣に考え始めるから話が厄介になる。

でもヒースクリフは暗い顔をして、しじゅう怒ってばかりいるし、ときには暴力もふるいます。こんな輩のどこがよくて女はメロメロになるのか。



キャサリンもかなり打算的な女。財産のないヒースクリフとは結婚できないから、お金持ちの男と結婚して、ヒースクリフとの関係を維持しよう――てなことを考えます。そういうことを屋敷内で堂々と人に話すもんだから、ヒースクリフの耳にも入ってしまう。

ヒースクリフはキャサリンへの愛が実を結ばないと知ると、いっそう性格が荒れます。さらにページが進むに従って、どんどん彼の不気味さが際立ってくる。

恋愛小説というよりゴシックホラーみたいな感じ。ヒースクリフの周囲も怒りっぽい人ばかりだし、子供たちはワガママで小ずるいし。

そして病人や死人がやたらと多い。人々は怒っているうちに多量のストレスが溜まるのか、急に倒れます。しかも病状が怖ろしい速さで進行する。

ちょっと待てよ、何の病気だかわかんないよ! そう心の中で叫ぶ私をよそに、あっという間に恋人たちは涙の別れとなるわけですから、なんかもう感情移入も何もあったものではありません。

そしてキャサリンとヒースクリフが抱えた愛憎は次の世代へ受け継がれ、さらに昼ドラ的なストーリーが続いていく。

もういい加減にしろって感じですが、そもそも本書に繊細な心理描写や、現代人の心に響くリアリティを求めて読むのが間違ってるんですね。

まるでジェットコースターのように激しく上下する強烈ストーリーに身を任せ、何も考えずに読みすすむのが正解。



本書を下敷きにして書かれたのが水村美苗【本格小説】だそうですが、こちらの日本版ヒースクリフのほうが危険な魅力にあふれていると思います。どっぷり浸る読書を堪能できます。やや長すぎる前置きで取っつきにくい感じもありますが、少なくとも☆4つは付けたい。

しかしそれも本家本元のヒースクリフがあってこその話。【嵐が丘】の文学的な価値は認めます。

でも純粋に好き嫌いだけで言えば、☆1つぐらいかな……。



さて今回は鴻巣さんの新訳で【嵐が丘】を読みました。なんだかジャリジャリした手触りの訳文ですねえ。もともとジャリジャリした原文なのでしょうか。まあ何とも言えませんが、気になったことを一つだけ。

「ドアを明ける」という表記が2箇所ぐらいありましたが、ドアは「開ける」ものではないでしょうか?



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[2007/12/18 12:07] は行の作家 | TB(0) | CM(0)

レオナルド・パドゥーラ【アディオス、ヘミングウェイ】 

かつてヘミングウェイが暮らしたキューバの邸宅で、白骨化した遺体が発見された。

元刑事で小説家志望のマリオ・コンデは、元同僚から話を聞き、若いころ崇拝した文豪に嫌疑がかかることに心おだやかではいられず、自ら捜査に乗り出す。


アディオス、ヘミングウェイ (ランダムハウス講談社 ハ 4-1) (ランダムハウス講談社 ハ 4-1) (ランダムハウス講談社 ハ 4-1)アディオス、ヘミングウェイ
(ランダムハウス講談社 ハ 4-1)

(2007/10/01)
レオナルド・パドゥーラ

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2時間もののドラマで、たとえば飛行機の客室乗務員をやっている女性が、刑事の夫から事件の話を聞き、頼まれもしないのに事件を調べ始めちゃう話って、ありましたよね。

そういうのを見ると、


刑事が捜査中の事件のことを一般人にベラベラベラベラ喋っていいのかよっ!


という疑問にかられます。

本書でもその疑問はつきまといます。マリオ・コンデは刑事を辞めて古本屋をやりながら小説を書こうとしている男です。元刑事は元刑事であって、現職の刑事とは違う。

しかし客室乗務員しか知りえない情報、たとえば「この航空会社のこの路線ではこんな機内食は出さないのよ」みたいな話がアリバイ崩しに役立ったりもします。

ヘミングウェイ宅で事件が起きたらヘミングウェイに詳しい人間に話を聞く。その人間が警察の仕事について理解のある者だったら、なおさら都合がいい。

まあ現実にありえるかどうかは別として、話の流れは自然かなと、私は自らの荒ぶる心を鎮めたのでありました。



ご存じのとおり、アーネスト・ヘミングウェイは1954年にノーベル文学賞を受賞した世界的な文豪です。自ら戦争に行ったり冒険をしたりした経験をもとに、数々の小説を書きました。

まあ「行動派の作家」と言えますが、小説のネタを求めて積極的に戦争に関わるのはいかがなものかという批判もあったようです。私生活では結婚と離婚を何度もくりかえし、晩年は躁鬱に悩まされて執筆も思うにまかせず、1961年にライフルで自殺を遂げました。

本書38ページ、39ページからの引用です。

《 彼にはわかっていた。自分には想像力が足りず、あったとしても当てにならない、と。だから実際に見聞きしたり体験したりしたことしか書けず、ぞのせいで、彼が文学に求めるリアリティをじんわりとにじませることが可能な作品しか生みだせなかった。》

《 彼にはもちろんわかっていた。小説を創作するために自分で自分の人生を創作するほかなかったのだ、と。書くために戦い、殺し、釣り、生きなければならなかったのだ、と。》

世間の批判が当たっているかどうかはともかく、ヘミングウェイの心の中に、私のような脳天気な読者には想像しえない苦しみがあったに違いありません。



本書は文豪ヘミングウェイの悲惨な晩年の姿が浮き彫りにされるという点では非常に興味ぶかいのですが、ストーリーの大枠はヘタな2時間ドラマとさほど違わないと思います。

だいたい、ヘミングウェイ宅で40年前の白骨死体が見つかって、すぐヘミングウェイに嫌疑の目をむける警察の態度が腑に落ちない。それに、白骨死体と一緒にFBI(連邦捜査局)のバッジが出てきたからといって、死体の身元が判明したと決めつけてしまっていいのか。

生前のヘミングウェイに関する記述はきめ細かくて、なかなか面白いですが、そちらに力が入りすぎたのか、どうもミステリー部分の粗さが気になりました。



そういえばヘミングウェイの伝記が家にあったなぁと思い、本書を読み終えてからガサガサと本棚をあさってみました。

私が買った本ではありません。おそらく叔母が置き忘れていったものですが、かなりボロっちい本だったので母が捨ててしまったようです。

たぶんこの本だったと思います。


パパ・ヘミングウェイ (1967年)パパ・ヘミングウェイ
(1967)
中田 耕治

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[2007/11/29 14:16] は行の作家 | TB(0) | CM(0)

堀江敏幸【雪沼とその周辺】 

2004年に谷崎潤一郎賞を受賞した連作短編集。2003年の川端康成文学賞受賞作「スタンス・ドット」を収録。

雪質の良さで知られるスキー場のある雪沼という町とその周辺地域で、小さな商売を営む人々が、ふと自らの人生を振り返る。


雪沼とその周辺 (新潮文庫 ほ 16-2)雪沼とその周辺 (新潮文庫 ほ 16-2)
(2007/07)
堀江 敏幸

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「雪沼」ってどこだろう。

スキー場があるということで私は新潟あたりをイメージしましたが、この地名については巻末の解説で池澤夏樹さんがふれておられます。

(「解説」ではなくて「付録」だと思っていただきたい、と池澤さんは謙遜の意味で書いていらっしゃいますが、これは解説どころか一編のエッセイですね。絶品)

どこにもないけど、どこかにありそうな町。それが雪沼です。



さて地方の経済が沈んでいると言われる中でも、人々は生きていかなきゃいけないわけで、この雪沼の人たちもボウリング場とか、料理教室とか、書道塾とか、さまざまな商売を営んでいます。それでも体力の限界を感じて商売をやめる日が来る。

空いた店舗を買い取って商売を始める人もいますが、それも都会で仕事を続けられない理由ができて、雪沼に帰ってきた人なんですね。しかも適齢期と呼ばれる年齢を過ぎて独身をとおしてきた人だったり。

読みながら、物寂しい風がひやりと背中を吹き抜けてゆくような感覚をおぼえます。

もちろん隣近所の人たちが助け合う場面もあるんですよ。でも人にはそれぞれ、踏み込んではいけない部分があるものです。

ああ人間は一人なんだなあって、しみじみ思いました。



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[2007/11/24 14:30] は行の作家 | TB(0) | CM(0)

福岡伸一【生物と無生物のあいだ】 

生命とは何か? 生物と無生物との違いは何か?

「動的平衡」論をもとに、生物を無生物から区別するものは何かを考察する。


生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891) 生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
福岡 伸一 (2007/05/18)
講談社

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私たちの身体の中では、絶え間ない破壊と修復が生きている限り続いているそうです。

肉体って、なにか固定化した物体のような気がしますけど、そうじゃなくて、


「たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい『淀み』でしかない」


そうです。それを読んで想像したのは、砂が風に吹き寄せられて人型の砂山をつくり、また風に吹き散らされてゆく様子ですけれども……

実際はもっと複雑で精緻なことが生物の中で起こっています。それが起こるか起こらないかが生物と無生物との違いなのでしょう。



学生時代に理系科目を苦手としていた私が、この本の中身をすみずみまで理解したとは口が裂けても言えません。

しかし福岡先生の文章の質感がすごくいい。

好ましい質感に誘われて最後の1ページまでたどりつき、細部はともかく本書で言わんとしていることは何となく頭に残りました。



福岡先生はアメリカで長く研究生活をつづけていらしたとのことで、本書はその経験をまじえながらの科学エッセイです。

第一章の書き出し、マンハッタンの風景の描写なんか素敵ですね。これが生物学の本であることを、しばし忘れかけました。

理系科目が得意なかただけでなく、あまり得意でないかたも、ゆるゆるとお楽しみくださいまし。


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[2007/10/06 12:27] は行の作家 | TB(3) | CM(0)

平山瑞穂【冥王星パーティ】 

たまたまインターネットで知人女性の画像を見かけた「桜川衛(さくらがわ・まもる)」は、自分の目を疑った。

胸をはだけ下半身をあらわにした女は、衛が高校生のとき微妙な関係にあった「都築祥子」によく似ていたからだ。


冥王星パーティ 冥王星パーティ
平山 瑞穂 (2007/03)
新潮社

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「冥王星パーティ」というタイトルから淡々とした小説を想像しましたが、のっけからヘビーでした。中盤もけっこう男汁が飛びます。

だけど女性が親に虐待を受けてトラウマが云々という話ではありません。

虐待やトラウマなどの特殊な要因がなくても、ときに人はヘビーなところへ堕ちていくものなのです。



ところで今、「高校デビュー」「大学デビュー」っていう言い方しますか? 死語ですか? いまどき小学生から派手な子は派手ですもんね。

要するに、いつ青春が花ひらいて「デビュー」するか、ということですけど、高校生だと人によっては本格的な男女交際を始めてるし、夜遊びをする子はする。

私は完全に大学デビューのクチですね。高校まで田舎で地味に暮らしてて、大学生になると少し遊びを覚えて、彼氏と二人で街のど真ん中を歩いたりして、高校の同級生に「え〜っ! あの人が男連れで歩いてる!」って驚かれて。そりゃ私だってデートぐらいするよ。いったい高校時代の私はどんな人間だと思われていたのか(笑)。

一方、うちの高校で一番の美人と言われたA子ちゃんは、近隣の男子高校生たちの熱い視線を集めていました。私が少女マンガなどを読んで恋に憧れていたころ、おそらくA子は彼氏と諸々の初体験をすませていたものと思われます。A子は高校を出たその年に子供ができて結婚しました。

大学に入った私はその頃ようやく彼氏ができて……あのときはまだ処女じゃないでしょうか、ええ。

もう完全に水をあけられた感じです。でも先行した人が必ずしも100%幸せとは限らない。かといって後れを取った私が「残り物には福がある」とばかりにA子よりも幸せになったとも言い切れない。

A子の結婚生活は短く終わり、その後はシングルマザーを通していると聞きました。私は相変わらずマザーのつかないシングルですけれど。

デビューが大学だろうが高校だろうが、長い人生の中ではあまり関係ないのかもしれません。



しかしデビューの勢いで道を踏み外すことがある。踏み外す手前でとどまるか、そのままどこかへ行っちゃうか。それが「桜川衛」と「都築祥子」を分けるポイントなのかもしれません。

桜川衛は高校時代には女の子にモテず、大学から自己改革をして青春を謳歌しはじめ、社会人になってからは女にモテまくり。でもオレの人生こんなんでいいのかな、って少し疑問に感じてて、そんなときに都築祥子との再会を果たすんですね。

高校時代の祥子はクールで、変に道を踏み外すことはなさそうですが、大学に入ると、ちょっと普通では考えられないような行動をとり、そのせいで痛い目に遭う。

祥子の周辺に変な人が多いことは確かですが、祥子自身の責任は大きい。かなりバカすぎます。



衛は祥子の話を聞いて、僕も大して変わらない、まだやりなおしはきくよ、と前向きな言葉をかけますが……

衛のどこが祥子と「大して変わらない」のか、よくわかりません。衛は単に女遊びに疲れただけだし、いっぽう祥子は自己責任とはいえ、いろんなものを失くしてる。

祥子と再会したことで衛の「負債は清算」されたのだろうけど、祥子の負債は相当に重い。

他人の痛い話を聞いて一人で勝手に負債を清算するなよ、と衛には言いたいです。

いま私が仮にA子と再会しても、「私も大して変わらないよ」なんて脳天気な共感はとてもできませんね。


[2007/08/17 11:48] は行の作家 | TB(5) | CM(0)

レイ・ブラッドベリ【ブラッドベリがやってくる】 

SF小説の巨匠、ブラッドベリのエッセイと詩を収載した本。


ブラッドベリがやってくる―小説の愉快 ブラッドベリがやってくる―小説の愉快
レイ ブラッドベリ (1996/06)
晶文社

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ブラッドベリの小説もろくに読まずにエッセイへ流れる私のような人間って、ブラッドベリのファンの皆様にとっては「けしからん」でしょうが……

興味ぶかい一冊であった。時間を置いて再読したい気がする。

とくに、本を読むだけでなく、なにか文章を自分で書きたいと思っている人には有益なヒントがありそう。

しかしこのタイトルはどうですかね。ブラッドベリさんがご自分のエッセイ集に「ブラッドベリがやってくる」なんてタイトルつけないでしょ。たぶん邦題は出版社が考えたんでしょうけどもね。



さてブラッドベリさんが小説の構想を考えるときは、書き溜めておいた「リスト」を見て、そこからふくらませていくとのこと。

ネタ帳みたいなもんでしょうね。心にひっかかる言葉をリスト化したものらしい。



そういえば恩田陸さんも、「小説はタイトルから考える」とのことで、気に入ったタイトルをまとめてメモしておくそうです。(当ブログの恩田陸【酩酊混乱紀行『恐怖の報酬』日記】の項をご参照あれ)



稀代の人気作家と呼ばれるためには、きれぎれの言葉の断片から自由に発想をふくらませる能力が必要なようです。
[2007/05/28 13:36] は行の作家 | TB(1) | CM(2)

本上まなみ【ほんじょの眼鏡日和。】 

文章が巧い女優さんだな。

流麗な美文ではないけれど、独特の感性を感じさせる文体。


ほんじょの眼鏡日和。 ほんじょの眼鏡日和。
本上 まなみ (2005/11/16)
マガジンハウス

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擬態語が面白い。「へもへも」とか「はもはも」とか「やしやし」とか。

「へもへも」は本書では「へもい」という形容詞としても使われているが、もしかしてこれって方言? (ご存じのかたはこの記事にコメントお願いします)



ちなみに本上さんは山形生まれの大阪育ちだそうだ。

文中で、一人称をあえて「オレ」と書いてる箇所があるけど、これも山形ことばの影響だろうか? 東北地方では年配の女性が「オレ」って言いますよ。

いや、私は言わないけどね。うちの母は相手によって「オレ」と言ったり、「わたし」と言ったり、一人称を使い分ける。

そういえばオール宮城ロケの映画『アヒルと鴨のコインロッカー』では一箇所だけ、登場人物が宮城弁らしき言葉でしゃべるシーンがあるが、あれは全くデタラメの宮城弁だ。

なぜネイティブの宮城弁を話せる人に指導を受けなかったのだろう?

良い映画だが、そこだけは気に入らない。



話を戻そう。

本上さんは子供のころ、夏休みを山形で過ごしておられたとのこと。大阪から山形まで、妹さんと二人で夜行列車に揺られた話は、ほのぼのとして、とてもいい。

大人が電車に乗ることは日常の一環でしかないが、子供にとっては非日常の極みだ。大冒険だ。

旅の子供が車窓を見つめるのは、景色を楽しむというよりも、「降りる駅を間違えてはならない」という精一杯の危機管理である。駅を一つ通るたびに、漢字とひらがなで併記された駅名をしっかり確認する。

とくに本上さんは妹さんと一緒で、姉としての責任感から、車掌さんに「着く前に起こしてください」とお願いするわけですね。

車掌さんがどんなふうに応じたかまでは文中に書かれていないが、「どちらまでですか?」などと温かく応じる姿が目に浮かぶ。



ここで車掌さんに冷たくあしらわれたら、私なんか一生トラウマになるかも。

そんな冷たい大人にならないように、温かいエッセイ本を読みましょう。


[2007/05/22 13:34] は行の作家 | TB(2) | CM(3)

蜂谷涼【蛍火】 

これはちょっと泣けました。独り身の女の微妙な心もち。

主人公の「仲村つる」は、武家に生まれながら諸々の事情で北海道の小樽へやってきて、ひっそりと染み抜き屋をやっている。

時は明治。人々の装いは着物が主流。洗濯するとき、普段着は手でゴシゴシ洗っても、高価な着物はそうはいかない。しょう油をこぼしたり、血をつけたり、雨の日に泥がはねたりすると大変だ。また、仕立て屋が作業の途中で生地をうっかり汚すこともある。そういう染みのついた着物を客から預かり、プロの技を駆使してきれいにするのが染み抜き屋。



染み抜き屋の仲村つるに諸々の事情があるように、客の着物にも様々な事情が染みついている。

たとえば客の女がもちこんだ着物の膝のあたりに正体不明の染みがある。つるが「どういう状況で染みがついたのか」と問う。もちろん好奇心からではなく、染み抜き屋の業務としての質問。染みが何だかわからなければ、どんな薬剤をどんなふうに使って染みを抜くべきか、判断できないからだ。

だが女の口は重い。つるが促すと、ようやく「よだれです」と答えがある。噂によれば女は夫以外の男と深い関係にあるらしい。つるは客のプライバシーに踏み込んではいけないと思いながら、染みを見てあれこれ想像する。雑念を振り払って仕事に集中するが、心のどこかで女を妬む。

着物の染みはきれいに抜けても、心の中の染みは抜けない。気楽な独り身とはいえ、たった一人分の心が重たくて持てあます夜がある。

そういう夜を酒で紛らわせ、朝が来れば染み抜きを待つ着物と真摯に向き合う職人の顔に戻る。



過去の因果を背負って地道に生きる芯の強い女「仲村つる」には、脳内で小西真奈美をキャスティングして読みました。






で、まあ前半はそれでよかったが……後半は仲村つるの周囲の人々にスポットライトが当てられる。彼らが背負った「事情」が語られる部分はやや長め。それはそれで哀感の漂う話だけど、仲村つるはどこへいっちゃったの、という気もしないではない。


ちなみに表紙イラストは「染み」を模したものと思われる。



蛍火 蛍火
蜂谷 涼 (2004/06)
講談社

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[2007/04/11 11:44] は行の作家 | TB(0) | CM(0)

半藤一利【昭和史 1926-1945】 

結論から言うと、

非常に面白かった。



学校の歴史の授業では、縄文時代から始めて、昭和史にたどりつく前に1年が終わってしまう。

私が学校に通っていた時代なんて、そりゃもう遥かなる昔のことだ。だから私が教わった歴史は、今よりいくらか短いことになる。それでもやっぱり教科書を最後の1ページまで授業中に見た記憶はない。

「あとは自分で読んでおいてね」と先生に言われて、そのまま春休みに突入してしまう。



それからン十年が過ぎ、なにを思ったか急激に読書への目覚めを迎えた私だが、読む小説の内容に昭和史が絡むことは往々にして有りうる。

たとえば私は恩田陸の【ねじの回転―February moment】という本を持っているが、これは1936年の「二二六事件」に材をとった小説である。


ねじの回転―February moment (上) ねじの回転―February moment (上)
恩田 陸 (2005/12)
集英社

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ねじの回転―February moment (下) ねじの回転―February moment (下)
恩田 陸 (2005/12)
集英社

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広辞苑をひくと、「二二六事件」とは――

「1936年2月26日、陸軍の皇道派青年将校らが国家改造・統制派打倒を目指し、約千五百名の部隊を率いて首相官邸などを襲撃したクーデター事件。内大臣斎藤実・大蔵大臣高橋是清・教育総監渡辺錠太郎らを殺害、永田町一帯を占拠。翌日戒厳令公布。29日に無血で鎮定、事件後、粛軍の名のもとに軍部の政治支配力は著しく強化された」

とあるが、歴史とは「流れ」であり、ある一点だけを取り出して見ても大きな流れを捉えることはできない。

なんか良い本ないかなぁ……と思って探し出したのが本書。



書き言葉ではなく、半藤先生の話し言葉で、わかりやすく噛み砕いてある。

第二次大戦で日本が降伏したところで本書は終わっており、それは浅学な私でも常識的に知っていることだが、知っているのに興味ぶかく読めるところが素晴らしい。



それにしても昭和の日本が転がり落ちていった坂はなんと急勾配であることか。「こんなことであんな戦争になっちゃっていいのか!?」と驚愕することしきり。

二度と同じ過ちを繰り返してはいけない。

老若を問わず、胸に刻むべし。



昭和史 1926-1945 昭和史 1926-1945
半藤 一利 (2004/02/11)
平凡社

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[2007/03/30 16:14] は行の作家 | TB(0) | CM(0)

保坂和志【カンバセイション・ピース】 

すさまじく読み手を選ぶ本。私は……選ばれなかった読み手かな。

でもこの舞台設定は嫌いではない。ひとりの小説家が世田谷の古びた家に住んでいる。妻と猫3匹がおり、友人が間借りして会社を経営。離れには姪が暮らす。

家のどこかしらに人の気配があるのは、とてもいい。ぱっと出かけるのも気軽だし、帰宅すれば「おかえりなさい」という声がある。お盆には親族が集まって、いっそう賑やかになる。

みんな外出して自分ひとりで家にいる場合もあるけど、この小説家は、かつてこの家で暮らしていた人々の記憶を蘇らせるから、「一人で寂しい」という気分はないみたい。



歳をとると気楽に行き来できる友達が少なくなるし、実の兄弟でも世帯が別になれば、それぞれの生活があるから、よほどの用事がなければ電話したり顔を合わせたりはしないもの。

大人なんだから仕方ないと割り切っているけど、なんとなく誰かと喋っていたい時もある。

そういう意味では、主人公の家は非常に羨ましい。



だけどさー、この家の人たちの会話内容が……なんかもう「勝手に喋っててください」って感じで。もちろん私たちの会話も、しょーもないことばっかりで、人様に聞かせられるほどのもんじゃないけれど。

一貫したストーリーの流れはなく、主人公が会話したり、とりとめもなく考え事をしたりするだけ。「それで小説が成立するんだな」という新鮮さはあるが、そういう小説を私が面白く読めるかどうかは別の話。

登場人物の会話内容や考え事に興味を持てなかったり、主人公の言葉に説教くささを感じたりする人には、つらい読書になりそうです。



カンバセイション・ピース カンバセイション・ピース
保坂 和志 (2006/03)
新潮社

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[2007/01/25 16:35] は行の作家 | TB(0) | CM(2)

堀江敏幸【いつか王子駅で】 

目のさめるような美男美女とか、敏腕の刑事とか、冷酷な犯罪者とか、そんな派手なキャラクターは一人も登場しない。

主人公は男の人。年齢はよくわからない。たぶん30代後半かな。「水産関係の教育施設」で時間給の講師を週1回つとめながら、翻訳などをやって暮らしている。



……いま「主人公は『普通の』男の人」と書こうとして、『普通の』という3文字を削除した。

あんまり「普通」ではない人だと思う。一般の会社員とは違って、朝に定時に出かけることがない。



一人暮らしで会社づとめもなくて自由そうに見えるが、回遊魚みたいに同じところをグルグルと回っている。自分のアパートと週1回のつとめと行きつけの飲み屋と知り合いの店。

べつに柵がめぐらされているわけでもないし、電車に乗ればどこへでも行けそうなものだけど、なんとなく同じ場所に戻ってきちゃうというか。



こういう地味な行動の合間に、主人公はとりとめもなく物思いにふけったり、むかし読んだ本の記憶をたぐりよせたりする。

物思いとは例えば、「路面電車っていいなー」とか、「春の天皇賞で勝った馬がどうだこうだ」とか、「コメは水分の多い新米より乾燥した古々米が好きなんだ。どこかで売ってないかなー」とか、「オレはプッシュ式の電話機はダメなんだよ黒電話じゃなきゃイヤなんだよ!」とか、なんかもう浮き世離れしたことばっかり。

(こういう人って携帯電話は持たないんだろうね。結婚生活にもあんまり向いてない気がするなぁ。こだわりが多すぎる男の人って女からみると面倒くさいじゃない?)

でも、これらのイメージが主人公の目に映る光景とクロスオーバーして、最後には意外なほどに心が揺り動かされた。



ところどころに絵の具を落としたかのような色の描写も鮮やかで、ひきつけられる。

湯あがりの肌に浮き出す紺青の龍の刺青とか、飲み屋の女将さんがチーズとベーコンとトマトを挟んで揚げる秋茄子の色とか。

刺青はちょっと怖いけど、この茄子の揚げ物は食べてみたいね。



いつか王子駅で いつか王子駅で
堀江 敏幸 (2001/06)
新潮社

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[2006/11/30 14:23] は行の作家 | TB(6) | CM(0)

馳星周【雪月夜】 

月が煌々と輝く夜に雪が舞う景色を一度だけ見たことがある。4月であった。それほど寒い夜ではない。家でテレビを見ながら何かしていて、ふと窓の外を見たら月が出ていた。すると桜の花びらに似た雪片が、ひらひらひらひら舞い降りてきた。

驚いた。いくら宮城県が北国とはいえ、4月になったら季節は確実に春である。この驚きを伝えたい相手の顔が頭に浮かび、電話をかけようとして手を引いた。たぶん今の時間では留守番電話になっている――というか、ここのところ何時に電話しても連絡がつかない。たとえ電話がつながっても、「なんの用?」と事務的な応じ方をされるような気がして怖い。「満月の夜なのにね、雪が降ってるの。すごくきれいなのよ」なんて、とても言えない。

最初は好意をもって付き合い始めた相手が、だんだん冷めてゆくのは寂しいものだが、まあ時間が経てば寂しさもおさまって、こんなふうにブログのネタにすることもできる。雪月夜の美しさだけが記憶に残る。



しかし最初から憎しみでつながった「幸司」と「裕司」が見る雪月夜は、どんなものであったか。二人は北海道の根室で生まれ育ち、幸司は郷里でロシア人相手の家電屋を営む。裕司は東京へ出てヤクザになった。

その裕司が突然、根室に帰ってきた。昔から裕司に痛めつけられ、散々な思いをしてきた幸司は恐怖に震える。

裕司によれば、二人の共通の知り合いである「敬二」が組から2億円を盗み、「ナターシャ」というロシア人娼婦を連れて逃亡したという。列車で函館に入ったところまではわかっている。きっと敬二は根室に帰ったに違いない。裕司は幸司を強引に連れまわして敬二を捜す。

裕司への憎悪を募らせた幸司は、どんな手段を使っても敬二とナターシャを見つけ出し、2億円を奪おうと心に決めた。

ところが、裕司が根室じゅうで「2億」「2億」と吹聴するものだから、地元のヤクザ、悪徳警官、腹黒の代議士とその愛人、怪しげなロシア人が、金のにおいに誘われてワラワラと動き出す。



事件の張本人の「敬二」は裕司の言葉に出てくるだけで、本人は物語の終盤にならないと姿を見せない。ちょっと引っ張りすぎかなという気もする。

それに、コージ、ユージ、ケージと似たような名前が3つ出てくるのは、もう少し何とかなりませんかね……。

あと、言葉のつなぎに「――」を使った箇所が多いのが気になる。

「裕司――おれにまとわりついて離れない悪霊。」
「敬二――いつも顔に冷笑を浮かべる色男。」

と続き、2行おいて

「過ぎて行く日々――やがて知る事実。」

なんだか中学生のときの歴史のノートみたい。

「メソポタミア文明――チグリス・ユーフラテス川」
「インダス文明――インダス川」
こんな感じでよくノートをとっていたものです。はい。



それはともかく、物語の焦点は「幸司と裕司の歪んだ関係」にある。これでもか、というぐらいに二人の憎しみを執拗に描き出す。

裕司は横暴な性格のせいで、また幸司も父親のことを悪く言われて、昔から周囲になじめなかった。孤独な二人は、対等に相手をしてくれる人間を求めていた。きっかけは憎しみでも好意でも何でもよかった。幸司と裕司は憎しみ合いながらも、互いの心の空洞を埋める存在となったのである。

ほんの少し同情の余地がないこともないが、裕司の行動は粗暴きわまりないし、幸司も金に目がくらんで自分にブレーキをかけられない。読んでいて感情移入はできない。著者が「あえて読者に感情移入させない書き方」をしているのかもしれない。

どろどろした話だけに、あまり感情移入しすぎると読後に立ち直れなくなりそうだから、こんな突き放した筆致がちょうどいい。そのくせ「あずましくないねえ」とか「はんかくさい」とか、根室の人々のお国言葉が妙に優しい。

だからこそ血にまみれたラストシーンの凄絶さが際立つ。舞い落ちる雪の向こうに月が輝き、幸司の笑い声が響く。

その冷たさは宮城の気まぐれな雪月夜からは想像もつかない。



妄想キャスティング

暗さの中に狂気を秘めた主人公の「幸司」に、板尾創路。

この名前、「いつじ」って読むんだってね。

板尾創路




雪月夜 雪月夜
馳 星周 (2006/10)
角川書店

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[2006/11/09 13:52] は行の作家 | TB(0) | CM(2)

ヒキタクニオ【東京ボイス】 

初めて出会った作家の本は、読む前に著者略歴を見ることにしている。むむむ。ヒキタクニオの作品では、【凶気の桜】と【鳶がクルリと】が映画化されているではないか。そうか、この人が書いたのか。


凶気の桜 凶気の桜
窪塚洋介 (2003/04/21)
東映

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鳶がクルリと 鳶がクルリと
観月ありさ (2006/03/21)
東映

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さて【東京ボイス】の話。主人公の「吉本」は歌手だったが、あまり人気が出なかった。芸能プロダクション社長の「針谷」の意向でボイス・トレーニングの講師におさまった。

吉本はゲイ。恋愛の対象は男性。いわゆるオネエではないので、女装はしないし女言葉も使わない。

ゲイにも様々なタイプがある。ベッドの中で女役をやるか男役をやるかという問題もあるし、本物の女性でもOKという人もいる。こういう性的嗜好の違いを吉本は「グラデーション」という言葉で表現する。

私自身は恋愛に関してはノーマルだが、これは「異性を好む気持ち」が10割で「同性を好む気持ち」が0割ということであって、その比率が人によっては0:10だったり、あるいは1:9だったり、2:8だったり、7:3だったり、もっと微妙に3.675と6.325とかね、人によって違うのだろうと思う。



吉本のボイス・トレーニングにやってくる生徒たちは、スキャンダルで失脚したアイドル歌手、風俗嬢、ホステス、針谷社長の愛人、ヤクザ、有閑マダムなど。でも、この人たちが吉本に教わったからといって歌手デビューできるわけではない。

ものすごく資質のある人は吉本が教えるまでもなく、オーディションなどで頭角をあらわして人気歌手への道を切りひらくし、「歌手になるなんて、どう逆立ちしても無理」と思う人は、最初からボイス・トレーニングのスタジオには近づかない。

かといって「才能にあふれた人」と「絶対に無理な人」を単純に2色に塗り分けることはできない。

ものすごい才能の人
  |
それなりにいけそうな人
  |
素人カラオケ大会なら優勝できる人
  |
カラオケを楽しむ人
  |
できれば人前では歌いたくない人
  |
絶対NO音感の人

と様々で、さらに「|」の中に少しずつ違う段階が無数にあるわけで、これまたグラデーションなのである。



ただし歌がヘタでも楽しく生きる方法は山ほどあるから、メゲないでくださいね。

問題は、自分自身が自分の才能をどう思っているかだ。

ときどき吉本は生徒から「私、歌手になれますか?」と訊かれるが、その吉本自身も歌手として大成しなかった人間だから、「無理だね」と真実を伝えるのは辛い。

「カラオケ大会で優勝したいでーす」とか「お稽古事のひとつとしてやってます」という生徒なら、吉本も「いい感じになってきたね。このままの調子で頑張ろう」とか何とか言えるけれど。

しかし自分を知らずにチヤホヤされて勘違いして、悪い人たちの食い物にされるだけの女の子もいて、本人の幸福のためには辛い宣告が必要な場合もある。



生徒たちはボイス・トレーニングの場で自分を知り、また吉本自身も生徒たちとの交流の中で自分自身を思い知らされる。

夢を見るための窓のガラスが割れたとき、人は飛び散った破片に傷ついて血を流すが、さえぎるものがなくなった素通しの窓から自由に飛び立つこともできるのだ。



東京ボイス 東京ボイス
ヒキタ クニオ (2006/04/11)
講談社

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[2006/11/08 13:24] は行の作家 | TB(1) | CM(2)

久石譲【感動をつくれますか?】 

小説ばかり読んでいる私にしては珍しく、「新書」というやつを買ってみた。

久石譲は『ハウルの動く城』を初めとする数多くの映画音楽を手がけたことで知られる作曲家。

映画音楽は短期間にたくさんの曲を作らなければならない。また、曲が出来上がっても、監督が思い描いたイメージに合わなければすべて作り直しだ。たいへん厳しい仕事であることが、本書を読むとよくわかる。



しかし久石氏は徹夜をしない。締切までの毎日、スタジオにこもって作曲に集中するのだが、その時間を○時から△時までと決め、食事や入浴の時間も一定にして、規則的な生活パターンを守る。

「忙しいからご飯は抜き」とか「勢いに乗ってこのまま朝まで仕事しちゃおう」というようなことは絶対にしないそうだ。そうやってパターンを崩すと、翌日の効率が落ち、結果的には締切に間に合わない……なんてことになってしまう。



こういう話を「有名な作曲家だからスタジオにこもったりとかできるんだよ」なんつって拒絶してはいけない。(ものごとを自分の物差しだけで判断せず、柔軟に考えることも大切だと久石氏は本書で語っておられる)



どんな仕事でも、あるいは資格試験や受験に向けての勉強でも、「一定のペースで着々とやるべきことをこなすこと」と「集中する時間・集中できる環境を持つこと」が大切だ。

村上春樹のエッセイ(どの本だか忘れたが)でも、「とにかく毎日、一定の時間に机に向かって原稿用紙を広げてペンを持ち、それ以外のことは何もしない。書けそうにない日でも、書く姿勢をとる。書けると思ったときにサッと作業を始められるようにする」というようなことを読んだ記憶がある。

ちょっと眠いから今日は寝ちゃおうかとか、テレビをつけちゃったりとか、そんなことではいけないのだ。

――と、自分に言い聞かせている私である。



薄くて気軽に読める本だが、その内容は濃い。

吉川晃司ファンの私としては、曲作りが遅れがちな吉川さんにもご一読をお勧めしたい。



吉川さん! 書きましたからね〜!

(でも見てくれるかなぁ、このブログ)



感動をつくれますか? 感動をつくれますか?
久石 譲 (2006/08)
角川書店

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[2006/10/11 11:45] は行の作家 | TB(0) | CM(0)

秦建日子【推理小説】 

篠原涼子主演のドラマ『アンフェア』の原作小説である。

ちなみに著者名は「はた・たけひこ」と読む。



なんか小説のタイトル「推理小説」はピンとこないね。「アンフェア」のほうがカッコいい。



ドラマでは、オープニングから篠原涼子が演じる「雪平(ゆきひら)刑事」が一暴れして、同僚の刑事役の阿部サダヲが

「アンフェアなんだよ! お前のやりかたは」

とセリフを言った直後にタイトルバック、ドーン!みたいな(あ? CMに入ったんだっけ? 違ってたらゴメンね)。かっこよかった。



【推理小説】の話に戻ろう。

いま推理小説というかミステリー小説って、メチャメチャ多い。いや、いまだけじゃないな。昔も今も多い。とにかく星の数ほど推理小説がある。

その中で、いかに目立つか、他の小説との違いを出すか。作家の皆さんは本当に大変だと思うの。読者の目も肥えてるし。私みたいな、ややヒネクレ気味の読者もいるし……。そういう意味では、この【推理小説】は頑張っていると思う。

想像で言うけれど、内容そのままじゃん、みたいなタイトルも工夫のひとつだろうし。

登場人物のキャラクターを、あまり濃く出さずにあっさり書いて、塩ラーメン的な味わいでいってみよう、とか。作者の意図が随所に感じられる。(あくまでも私の想像だが)

でも私は、もう少し味が濃くてもいいと思った。



ドラマを見た後に読んだから、ページをめくりながらドラマ出演者の声でセリフが聞こえ、ドラマ出演者の動きが目に浮かんだ。

ではドラマをまったく見ずに、この小説だけ読んだら? そこが微妙。

シナリオだと最初からドラマを作るという前提で書かれるだろうが、やはり小説は小説だけで自立すべき。

本の帯に、ドラマ主演の篠原涼子の写真がドーンとのっけてあるのも凄かった。タイアップ、ドーン!みたいな。



でもさー、作家さんも霞を食って生きてるわけじゃないから。本が売れないと困るよね。




篠原涼子ファンの皆さんは買うべき。ドラマを頭に浮かべながら読むと本当に楽しい。安上がりなDVDみたいなものだ。



あと、若い世代の皆さん向けに補足。

この小説の中で、就職活動する大学生が、「企業に資料請求のハガキを100枚書く」とある。

しかし、いまどきの就職活動はみんなインターネットだよね?

インターネットが普及してなかった時代の大学生は、リクルート(という会社があるでしょ)から出てる、新卒向けの就職情報誌を見て、付録についてる「資料請求用ハガキ」を記入して出したの。

記入欄が印刷してあって、切手を貼らずに出してOKのハガキね。

私も100枚以上ハガキ書いたと思う。ちょっと懐かしい。



そんなこと言ったって、いまどきの学生さんはわかんないよね。

私は違和感なく読み流してしまったシーンだが、「なにこれ?」と思う人は思うだろうなと、あとで気づいた。(ちなみにドラマでは登場人物の設定を変えており、大学生はまったく登場しなかった)

若い人たちは、「これはインターネットがなかった時代の話なんだ」とか、「これは就職活動にハガキを使う星の話なんだ」とか、気持ち切り替えて読んでみてね。



推理小説 推理小説
秦 建日子 (2005/12/21)
河出書房新社
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[2006/01/14 11:47] は行の作家 | TB(1) | CM(2)