土木作業員の若い男が、保険会社に勤める若い女を殺して逃走した。
親から見れば「おとなしい子」「ごく普通の娘」の二人に何が起こったのか。戸惑いと衝撃のなかで警察の捜査は進み、事件前後の二人の足取りが明らかにされてゆく。
加害者の男は、根っからの極悪人ではない。不幸な生い立ちのせいで屈折しており、人との距離感をうまく測れない。喉が渇いた子供がジュースを欲しがるように、出会って間もない女に大きな愛情を求める。それが叶わないと極端な行動に出る。
被害者の女は……これも悪人ではないけど、醜悪で目も当てられない。やたらと見栄を張り、似合わない高級ブランドのバッグを持ち、友達には「彼氏とデートなの」と言いながら、実は出会い系サイトで知り合った男と会うだけだったりする。女の携帯電話を調べると、複数の男たちとの関係が明るみに出た。
男も女も、単純に「幸せになりたい」「楽しく暮らしたい」というところから行動が始まるのだろうが、あまりにも短絡的で自分中心で醜悪で、結果的には家族に重荷を背負わせる。
女の両親は、離れて暮らしている娘の男性関係なんて知らないし、出会い系サイトも見たことがないから、警察から事件のことを知らされても混乱するばかりだ。
混乱は、男の親代わりである祖母も同じ。そのうえマスコミには追いかけられるし、怪しげな健康食品の販売業者が近づいてもくる。病身の夫がいる。さまざまな不幸が一挙に降りかかってきて、弱気になった老女は外を歩くとき、いつも下を向くようになってしまう。
警察に追われる男は必ずしも根っからの極悪人ではない。しかし警察から何のとがめも受けない悪人たちがいる。なんと複雑な世の中であることか――というのは、何の事件・事故にも巻き込まれずにいる幸せな人間のセリフなんだろう。
「だれが本当の悪人なのか」とか「犯人の心の闇にあるものは」などと考えるのは、恨みつらみを増幅させ、弱気な心をさらに弱くするばかりで、被害者家族にも加害者家族にもあまり意味がない。
事件の被害者がいて、加害者がいる。被害者の冥福を祈り、加害者は罪を償う。それしかないのだ。
しかし打ちひしがれた加害者家族と被害者家族が立ち直る瞬間があり、この暗い小説に希望の薄明かりを与えている。暗いまま小説が終わるのではないかと思っていたので、予想外の薄明かりにホッとした。
それでも結末部分で加害者の逃走に手を貸した女性が「あの人は悪人なんですよね?」と問いかけるところは胸が痛かった。
この女性、私は同じ女として同情を禁じえないけれど、人として正しいとは言えないわけで……この一言には考えさせられた。
吉田修一の本は何冊か読んでいるけど、けっこう鬼門。雰囲気は嫌いじゃないけど、感想が出てこないというか……。うーん。
【長崎乱楽坂】はわりと面白かったけど。
タイトルを見て、いわゆるホームレスの人たちの話かと思ったけど、ぜんぜん違いました。ふつうの会社員です。スターバックスでコーヒーなどを買って、昼休みを日比谷公園で過ごす男女の姿が描かれてる。
裏表紙には「日比谷公園を舞台に、男と女の微妙な距離感を描き、芥川賞を受賞した傑作小説」と書いてあるけど、ふーん、そうなんだ。これって微妙な距離感なんだ。傑作小説なんだ。
文章は読みやすいし、登場人物の気持ちに共感できないこともないけれど、これが学校の宿題で読書感想文を書けっていう話だったら、ものすごく困る。だって感想が出てこないんだもの。
しかし大人の読書は気楽でいい。感想文を無理やり書く必要がないし、ブログに載せるにしても「感想が出てこない」で済ませちゃって構わないんだから。
本書では表題作『パーク・ライフ』と、もうひとつ『flowers』という作品を収録。
『flowers』は、『パーク・ライフ』よりもギラギラした感じが強い。
「男と女の距離感」ってことで言えば、『flowers』のほうが明確に距離を感じる。それも「微妙な」距離感じゃなくて、なんかもう埋めようのない距離感というか。
うーん。やっぱり「鬼門」感は拭えないなぁ……。
温泉旅行の楽しみは、風呂をわかす手間をかけずに真っ昼間からドップリ湯につかる――というところにあるけど、そういう「非日常」の中ではなくて、日の高いうちに誰かに風呂の用意させて殿様みたいにザブザブやることが「日常」になっちゃってるのは、いかがなものかと思うわけです。
(お仕事の都合で入浴がどうしても日中になるというお人は別ですが)
本書の舞台である「三村」さんの家はいわゆる極道。背中や腕に刺青のある若い衆が集まる。日の高いうちから風呂に入り、その後はパンツ一丁で酒盛りである。
まだ幼い「駿」と「悠太」はそんな家に住んでいる。彼らの母親は夫と死別して、実家である三村家に戻ってきた。
生活のためには仕方ないが、どう見ても子供の教育にはよろしくない。それを母親は自覚しているとは思えない。獣みたいな男に「姐さん早く早く」と背中を押されるようにして、たびたび家の離れに入り浸る。男たちのために風呂をわかし、かいがいしく酒盛りの世話をする。
この「姐さん」、私は嫌いだ。見た目にはカワイイ女だろうけど、要するに自活する術(すべ)がなくて男たちに頼ってるだけだ。かといって相手は極道だから逆らうのも怖いし……。こういう状況が男たちを増長させるんだよなー。
それでも三村一家の繁栄が永久につづけば、姐さんも駿も悠太も、少なくとも食いっぱぐれは避けられるだろうが、だんだん一家が傾いていく。
成長した駿と悠太は、この家にいても良いことはないと分かっている。が、実際に二人が歩む人生はまったく別々のものになった。二人とも「この家を出るのだ」という思いは同じだったのに。
家に残った者は、目も当てられないようなグータラぶりである。まっとうに働かず、離れに女を連れ込み、日の高いうちから風呂につかる。幼い頃に見た男たちの暮らしをそのままなぞっている。
そんな調子でこれから先どうするんだよ……と思っているところに、虚脱感がドッと降るかのようなエンディング。
「極道の家で育ちました」系の小説といえば、宮尾登美子【鬼龍院花子の生涯】を思い出すけれど、こちらはヒロイン「松恵」が実にたくましい。
でも本書のグータラな主人公だって、最初からグータラに生きたかったわけではない。夢も希望もあったのだ。
その夢を主人公は自分でつぶしたのか、あるいは最初からグータラ人生が運命づけられていたのか。
あなたはどちらだと思います?