三崎亜記【失われた町】 

30年周期で起こる「町」の消滅を未然に防ごうと、調査・研究をつづける「管理局」。しかし局員たちの努力も虚しく、新たな町の消滅が起こった。

消滅のプロセスは解明されつつある。まず住民の大半が何の予兆もなく瞬時に消える――というよりも、町そのものが意志を持ち、住民を呑み込むようだ。根本的な原因は不明。

人々が消滅に不必要に興味を持ったり、消えた人々を思って悲しんだりすると、町は刺激され、さらに余滅を起こす。それを防ぐため、無人の町に入って後処理をおこなうのは、管理局から派遣される「回収員」。

回収員は家々を一軒ずつ回り、町名の入った書類、郵便物、領収証、預金通帳、電話帳などの一切を処分する。地図や書物に載った町名も消され、これで町ひとつが完全に失われたことになる。



管理局に勤務する「桂子さん」は、「倉辻町」が消滅したときの生き残り。生き残れるかどうかは、各人の「消滅耐性」の違いにかかっているらしい。なんにせよ助かったなら「よかったね!」と言って喜ぶところだが、人々の中には、失われた町や、失われた町に関わる人々を「穢(けが)れたもの」として見る意識が根づいている。

桂子さんは管理局にとって有能なメンバーの一人だが、格好の「生きた研究材料」でもある。ときには差別的な言葉を浴びせられる。恋人との交際も発展しない。

そんな折り、桂子さんは「脇坂」と名のる風変わりな男と出会った。



一方、回収員の「茜」は、町の消滅によって恋人を失った「和宏」と出会う。

町の消滅時、和宏は町外にいて助かったが、記憶が消滅直前の時点で止まっている。茜は和宏に心を寄せ、その悲しみや苦しみを癒してあげたいと思うようになる。



失われた町は恋人や夫婦の仲を裂くが、逆に失われた町によって結びつく絆もある。その絆を心のよりどころとして、町の消滅を防ごうと奔走する人々の姿をSFタッチで描く本書は、第136回直木賞の候補作に挙がった。(結果は「該当作なし」で終わった)

個人的な意見を述べれば、うーん……これで直木賞はどうだろう。少なくとも、直木賞選考委員の先生方のお好みには合わなかったのではないかと思う。

べつに直木賞なんか受賞しなくても面白い小説は沢山あるし、本書も面白いことは面白いけど、細部を作りこみ過ぎ、話を大きく広げ過ぎて、まとまらない感じ。

最初から「なんちゃって科学用語」がいっぱい出てきて、このまま科学的なクールさが貫かれるかと思いきや、架空の国の「なんちゃって宗教」的なところにまで話が及ぶ。

問題の解決を「絆で結ばれた者どうしが互いを想い合う力」みたいな、感傷的なところに委ねてる気もして、やや水分量が多め。



いま邦画の世界では「泣きモノ」が流行りだから、もう少しシンプルなストーリーで映画化するとヒットするかも。

以下、妄想キャスティング。


回収員の「茜」に、柴咲コウ。

柴咲コウ



失われた町の生き残り「和宏」に、大沢たかお。

大沢たかお



管理局員の「桂子さん」に、かとうかずこ。

かとうかずこ




失われた町 失われた町
三崎 亜記 (2006/11)
集英社

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[2007/02/14 11:08] 三崎亜記 | TB(16) | CM(7)

三崎亜記【となり町戦争】 

タイトルは「戦争」なのに、戦闘シーンはひとつもなし。

でも怖い。

戦争そのものの悲惨さ・恐ろしさというより、いかにも「お役所」的な発想の冷たさや、それに対して住民が何も言えないことにゾッとする。

何も言えない、とは、言論が制限されているということではない。たとえば役所から住民に向けて何かの発表がある。一見すると話の筋が通っていて、「なにか質問はありますか」「ご意見をどうぞ」と言われても、何も言うことがない、という状態。

なんとなく変だと感じても、その変な感じを言葉で説明できない。いや、明らかに変だと思っても、「議会で可決されましたから」「正式な手続きを経て決まったことですから」と言われると、それを突き崩すことは難しい。そういう状態。



主人公の「北原修路」は、町役場から配られた広報誌を見て、となり町との戦争が始まることを知った。しかし開戦日になっても激しい戦闘の様子は見えない。まだ戦争は始まっていないのかもしれない。

そう思った矢先、広報誌に小さく載った記事を見て北原は愕然とする。

「町政概況」として町の人口や世帯数、転出・転入数などが並ぶ中、「死亡23人」とあり、その横に添えられていたのは「うち戦死者12人」という文字であった。

戦場となる地区では、住民に対する「地元説明会」が開かれる。そこでは、戦争によって住民の暮らしは良くなるんですよ、という趣旨のパンフレットが配られ、役場職員が戦争について、整然と筋が通っているようにしか聞こえない説明をする。

戦争反対を声高に叫ぶ住民はいない。住民から出る質問は、「戦闘時間は通勤時間と重ならないようにしてください」とか、「窓ガラスが壊れちゃったんだけど、補償金額はいくらなのか」とか、「迂回路は確保してあるのか」といった細かいことばかり。

なかには「なぜ戦争をしなければならないのか?」と根源的な質問を投げかける者もいたが、べつの住民から「もう戦争が始まったんだから、そんなこと今さら言っても仕方ないだろう。協力するしかないだろう」という声が出て、うやむやなまま説明会は終わる。

役場職員は肝心なところをぼかして説明するし、住民も肝心なところを見ようとしていない。自分の利害で頭がいっぱいだから。役場の言うことにはとりあえず協力しなけりゃならん、と思っているから。

そうやって戦争は続くが、北原修路の生活は開戦前も後も何ひとつ変わらない。爆音もなければ、住民の反戦デモもない。太平洋戦争のときのような召集令状とか、食料の配給とか、疎開とか、そんな気配は微塵もない。

ただ、月2回発行の広報誌に載る戦死者の数だけが少しずつ、しかし確実に増えていく。



そういえば北海道の夕張市は財政破綻して、2007年の成人式では市の予算が1万円しかなく、募金を集めて、ようやく式典を開催できたという話を聞いた。

財政破綻といったって、昨日や今日、急に財政がおかしくなったわけじゃない。夕張市民の知らないところで少しずつ少しずつ膨らんできた財政難の風船が、ある日バチンと破裂したのだと思う。

しかし財政難は夕張だけの話ではない。むしろ夕張の場合は風船が破裂したことで問題が明らかになり、解決に向けて行動を始めることができた、と言えなくもない。



私の住んでいるところでも財政難はかなりのもので、住民サービスの縮小というようなことも一部ではささやかれている。かといって住民の一人にすぎない私の力では何もできないし、ただ自分の生活を続けていく他はない。

でも私の知らないところで風船が静かに膨らんでいく。いつか突然その風船が破裂するのか。あるいは破裂する前に、地域の活性化と称して「となり町戦争」でも勃発するか……。

いや、まあ戦争は小説の中だけの出来事としても、それに負けるとも劣らない世にも奇妙なプロジェクトが、知らない間に議会で可決され、反対をとなえる隙もないまま始まってしまったら……と思うと、ざわざわと心が波立つのを抑えられないのである。



なお、本書は江口洋介の主演で映画化された。公開は2007年2月。



となり町戦争 となり町戦争
三崎 亜記 (2006/12)
集英社

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[2007/01/11 15:12] 三崎亜記 | TB(37) | CM(9)