梨木香歩【西の魔女が死んだ】 

大人も子供も心あたたまる、そして前向きになれる良書。

中学生になった早々、登校拒否をしはじめた「まい」。母親は戸惑い、一考の末、まいを「西の魔女」と呼ぶ祖母の家に預けて休養させることにした。

まいはおばあちゃんが大好きなのだ。西の魔女というのは悪口ではない。


西の魔女が死んだ 西の魔女が死んだ
梨木 香歩 (2001/07)
新潮社

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まいは感受性が強すぎて、些細なことが心の負担になりがちだ。

おばあちゃんは、そんな孫娘を温かく見守り、少しずつ良い方向へと導いていく。



じつは私も小学1年のとき、通信簿に「感受性が強いようです」と書かれたことがある。

ちょっとしたことで先生に叱られ、じっと涙を浮かべていた私を、先生がご覧になって「感受性が強い」と判断なさったのであった。

いま思えば、あれは感受性というより、普段あまり叱られたことのない私が「先生に叱られた!」ということでプライドが傷つき、「なぜ私は先生に叱られるようなことをしちゃったんだろう! ばかだ! ばかだ!」と自責の念がはたらいたのである。まったく。余分に高いプライドなど持つべきではない。

いずれにせよ今の私が曲がりなりにも社会人をやっていられるのは、先生が温かい手で正しい方向に導いてくださったからに違いない。



本書を読みながら先生のことを思い出したが、タイトルにあるとおり、おばあちゃんは息を引き取る。

しかし、おばあちゃんには生前に孫娘とかわしていた約束があった。それをちゃんと果たしてから天に召される。

まいは悲しみの中でも、おばあちゃんに守られている心強さを感じるのだ。



……いま「彼岸へ旅立つ」と書こうとしたが、彼岸は仏教の言葉だから、ふさわしくない。なにせ、このおばあちゃんは英国人だから。

梨木香歩の作品では「日本人のなかに外人が一人」とか「外国に日本人が一人で」という状況が多く見られる。

日本人どうしでは不自然な物言いも、外国人と日本人のやりとりだと、なんだか自然に思えてしまう。

もしかしたら日本で起こる様々な事件は、正面から愛を語ると照れてしまう国民性のゆえだろうか。

日本人が真面目に愛を語る日本人なりの表現から模索する必要があるのかもしれない。

[2007/05/28 14:35] 梨木香歩 | TB(3) | CM(0)

梨木香歩【からくりからくさ】 

蓉子、与希子(よきこ)、紀久(きく)、それからアメリカ人のマーガレットと、若い女の子4人の共同生活を描く。


からくりからくさ からくりからくさ
梨木 香歩 (2001/12)
新潮社

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蓉子は染色家の工房に通う外弟子。与希子と紀久は美大の学生で、機織(はたおり)をする。マーガレットは鍼灸の大学に通う。

4人とも年齢は20歳前後だろうけど、文中のセリフだけを読むと、とてもそうは思えない。与希子や紀久という名前も少し古めかしくて、谷崎潤一郎の小説にでも出てきそうな感じ。この名前には実は深い意味があるのだが、そこはご自分で本書を読んで確かめてみてね。

それはそうと彼女たち、携帯電話は持ってないし、インターネットを使う様子もない。いまどきの女の子にしては珍しい――と思ったけど、本書が単行本で出たのは1999年5月。まだ携帯電話やパソコンは2007年の現在ほど普及していなかっただろうから、時代考証的には間違いではない。

しかし想像するに、彼女たちは2007年になっても携帯電話を持たずに暮らしていそうな気がする。

きっと蓉子は「だって、私たちには携帯電話なんか必要ないわ」などと言い、大切にしている市松人形の「りかさん」を慈しむように撫でたりするのではなかろうか。

与希子と紀久とマーガレットも「そう思うわ」などと応じそうだ。



彼女たちの知人男性は、この家を「結界が張られているような家」と評する。

本書201ページ。

《世の中が凄い勢いで変わっていく、というより攪拌(かくはん)されていくようでめまいがとまらない、けれど、あの家はその渦から外れているようだ、何かに守られているようで、それがなんなのかよくわからないけれど》


なんなのかわからないけれど、とにかく女たち4人は結束して、世間の風に吹かれてもビクともしない結界が張られた家で、機織や染物をして平穏に暮らしたのである。めでたしめでたし。



……と話を終わらせるのは、まだ早い。

蓉子が大切にしている人形の「りかさん」は、大ざっぱに言えば亡くなった祖母の形見。りかさんは人形でありながら自分の意志を持ち、蓉子にはそれを感知する力がある、らしい。

そのことを与希子と紀久とマーガレットは心から理解してはいない。しかし蓉子の大切なものや祖母への想いを傷つける必要はないわけで、全面的な否定や排除はしない。



考え方が必ずしも一致しない人々が「互いの違いを認め合って否定しない」というスタンスをとって一つ屋根の下に暮らす話といえば、【村田エフェンディ滞土録】もそうだった。


村田エフェンディ滞土録 村田エフェンディ滞土録
梨木 香歩 (2007/05/25)
角川グループパブリッシング

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こちらは主人公の「村田」のとぼけたキャラクターが良いですね。それでいて後半は切なくて、なんともいえない読後感を残す本でありました。



それと比べて本書は、やや理屈っぽいかな。

若い女の子が恋愛し、破局して、そこで生まれて初めて「女の情念」の芽生えを知る場面もあるけど、今ひとつ凄みが伝わってこない感じ……。

後半から結末にかけてはかなり衝撃的で、思わず「えっ!」と声を上げたほどだけど、ビジュアル的に凄い場面のあとに言葉で「説明」されちゃうので、ちょっと興ざめな感もあり。

言葉という結界の中に凄まじいパワーが封じ込められている気がする。



蓉子、与希子、紀久、マーガレットの4人が年齢を重ねれば、女の情念どころか芸術家としてのパワーが炸裂して結界を打ち破り、一段と凄みを増すのかもしれない。続編、出ませんかね?

(「もう出てるよ」というご指摘がおありでしたら、ぜひコメントお願いします)



妄想キャスティング。

主人公の「蓉子」に、成海璃子

成海璃子



[2007/05/21 15:55] 梨木香歩 | TB(7) | CM(3)

梨木香歩【村田エフェンディ滞土録】 

本書の主人公である考古学者の「村田」は、【家守綺譚(いえもりきたん)】の主人公「綿貫征四郎」の友人。


家守綺譚 家守綺譚
梨木 香歩 (2006/09)
新潮社

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綿貫が日本で物書きとして地味に(そして河童やキツネにおちょくられながら)暮らしているころ、村田はトルコへ留学する。1899(明治32)年の話。

留学先では「ディクソン夫人」という英国人女性の屋敷に下宿する。この屋敷には村田のほかにも、ドイツ人の「オットー」とギリシア人の「ディミィトリス」が下宿しており、トルコ人の「ムハンマド」という男が下働きをつとめる。

つまり国も宗教も違う人々が一つ屋根の下で暮らすのだが、この設定には著者の梨木さんご自身の経験が反映しているようだ。詳しく知りたいかたは、梨木さんのエッセイ集【春になったら莓を摘みに】を読んでください。


春になったら莓を摘みに 春になったら莓を摘みに
梨木 香歩 (2002/02/25)
新潮社

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日本が開国してから30年と少し。国際的に見れば、日本という国は子供のようなもの。村田がトルコで学ぶべきこと・学べることは考古学にとどまらない。

綿貫が日本で河童やキツネや花の精といった「異世界」との遭遇を果たす一方、トルコの村田もまた別の意味での「異世界」の真っ只中に立つわけだ。

「これから日本人が国際社会の中でやっていくには、強い自己主張がなくちゃダメだなー」なんてことを村田は実感するが、「でもオレって前へ前へと出ていくタイプでもないし」と自分を見つめなおしもする。

日本人どうしだと、激しく自己主張し合わなくても感覚的にわかりあえるというか、「このへんで手を打とうか」ぐらいのところで話がおさまる。徹底的な議論や折衝の苦手な民族だが、協調性があるのは決して悪いことではない。いくら議論を重ねても、なくせない「違い」はあるわけだからね。とくに宗教の違いを理屈でどうにかしようとするのは無理がある。



ディクソン夫人宅で暮らす人々も、宗教に対する考えの違いはあるけれど、「他を否定しない」ことで平静を保っている。やがては国や主義主張の違いを超えて友情が芽生える。この様子が非常に良い。

木下という日本人がトルコにやってきて、体調を崩してホテルで寝こんだとき、村田が木下を助けるのはもちろんのこと、オットーやディミィトリスやムハンマドまでが木下の体調を案じて、トルコでは入手しにくい日本のお醤油を取り寄せてくれたり、スープをつくってくれたりする。

そうこうするうちに世界情勢はキナ臭くなり、国どうしの戦いがこの心あたたまる友情を激しく揺るがすことになる。



村田は考える。国とは、いったい何なのだろう。

人がたくさん集まって国というものができるのに、国ができてしまうと、人と国とのあいだに隔たりができてしまう。

とはいえ村田がウルトラマンか何かに変身して世界平和を守るなんてことはできない。まあウルトラマンなら敵をやっつければ平和を取り戻せるが、現実の世界情勢においては敵・味方を単純に色分けすればいいってものではないのよね……。

声高に理屈っぽく何かを主張するのではなく、しみじみとした余韻を残すラストシーンが美しい。


妄想キャスティング

考古学者の「村田」に、西島秀俊。

学者先生っぽいと思うんですが、どうですか。

西島秀俊




村田エフェンディ滞土録 村田エフェンディ滞土録
梨木 香歩 (2004/04/27)
角川書店

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[2006/11/04 17:17] 梨木香歩 | TB(19) | CM(7)

梨木香歩【家守綺譚】 

江戸時代と明治時代の境目で、人々はどうやって気持ちを切り替えたんだろう?

私がその時代に生きてたら、「皆さん、今日から明治時代です! 洋服を着ましょう!」と言われても、意地になって着物を着つづけるかも。周りの人たちが洋服を着だしてから、「私も洋服にしようっと♪」なんて言ったりして。

しかし明治のころに洋服の通販カタログがあるわけじゃなし、東京では洋装の人が急激に増えても、地方の人々が普通に洋服を着るようになるまでは、かなり時間がかかったのではないかしら。

人間、見た目の変化を心が後追いするってことがあるよね。もしかして「明治だ明治だ♪」と浮かれていたのは東京だけで、そこから離れた地方では、のんびりゆっくり、じわじわと時代が移り変わっていったのかもしれないな。



【家守綺譚(いえもりきたん)】は「ほんの百年すこし前の物語」である。2006年の今から100年前なら明治39年だし、それより少し前だから明治35年ぐらいだろうか。

主人公の「綿貫征四郎」は駆け出しの物書きで、それだけでは食えないから英語学校の非常勤講師をつとめていたが、もともとサラリーマンには向かない性分のようだ。

そんな折り、学生時代の友人「高堂」が若くして亡くなり、その父親が嫁いだ娘の近くへ引っ越して隠居するため、征四郎に「空いた家に入ってくれないか」と言ってきた。もちろん月々のものは渡すし、庭の手入れは無理にしなくてもいいから――という話だ。

征四郎は喜び勇んで英語学校を辞め、高堂の家に引っ越して「家守」になった。



家守の意味がわかったところで、「きたん」を広辞苑で引く。

字は「奇譚」、意味は「世にも珍しく面白い物語・言い伝え」である。



亡くなった高堂がボート(学生時代はボート部に所属していた)に乗って床の間から現れたり、征四郎がタヌキに化かされたり河童に遭遇したりと、「世にも珍しい」話が書いてあるが、物語のなかの人々はちっとも怖がらないし不思議がらない。

高堂の登場シーンで、征四郎は「どうした? 逝ってしまったのではなかったのか?」と問いかけるが、高堂に「雨に紛れて漕いできたのだ」と言われると、「会いに来てくれたんだな」と、あっさり納得する。

隣家のおかみさんは、征四郎が見つけた怪しげなものを「河童の抜け殻に決まってます」と自信たっぷりに断言する。これまた征四郎は素直に納得する。

こんな征四郎には洋装が似合いそうもない。やっぱり着物だ。日本じゅうに吹きまくる新しい文明の風にあえて身をさらすことなく、ぼんやりと浮世離れしたことを考えている文士の風情。



読んでいる私も「はぁ、そうですか河童ですか」と、すんなり読み進む。小説といってもストーリー性は薄い。架空の人物であるはずの綿貫征四郎が書いた随筆を読んでいるような気分。

四季折々に彩りを変える草花の描写も美しく、科学的な根拠がどうのこうのなんて言うのは不粋だ。

「きたん」の「き」の字は、「奇怪」の「奇」ではなく、「綺麗」の「綺」がふさわしい。



なお、文中に登場する征四郎の友人で、土耳古(トルコ)に行っている考古学者の「村田」は、【村田エフェンディ滞土録】で主人公として活躍する。こちらも読んでみたい。




妄想キャスティング

主人公の「綿貫征四郎」に吉岡秀隆。離婚してもメゲずに頑張れ。

吉岡秀隆






村田エフェンディ滞土録 村田エフェンディ滞土録
梨木 香歩 (2004/04/27)
角川書店

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家守綺譚 家守綺譚
梨木 香歩 (2006/09)
新潮社

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[2006/10/12 15:29] 梨木香歩 | TB(48) | CM(21)