化粧品のテレビコマーシャルに人気モデルの山田優が黒いビキニ姿で登場した。肌が白くて目にまぶしい。黒いサンダルをはいている。サンダルの細いストラップがヘビのように白い足首に巻きついている。
男が全裸で靴下だけ履いた姿は見たくないが、美女がビキニにサンダルを履けば、セクシーさに妖しさが加味されるのである。
(これから女の子と楽しい夜をすごすつもりの若い衆は、コトに及ぶ前に、まず靴下を脱ぐほうがいいと思うよ)
では、ビキニなしの全裸で黒いハイヒールをはいた女はどうか。これまた相当に妖しい。しかも左手の薬指の先が少しだけ欠けている。
……なんだか谷崎潤一郎の小説みたいな話になってきた。
女は工場に勤務していたとき、誤って機械に指をはさんだ。大怪我にはならなかったが、工場を辞めた。新しい勤務先で、すっかり仕事に慣れたころ、男から黒革のハイヒールを贈られる。
そして、どんなときにも――勤務中はおろか、男と二人きりの時間をすごすときでさえ――贈られた靴を履きつづける。そう男に命じられたからだ。
靴は女の足にぴったり合い、履き心地は最高だが、あるとき女は「その靴を脱いだほうがいい」と忠告される。靴が足を侵し始めていた。
それでも女は靴を脱がない。このままでは男に絡めとられてしまうだろう。それも充分に自覚している。
でも男に絡めとられることの心地よさが、私にはわかるような気がした。
この本には【薬指の標本】のほか、もうひとつ【六角形の小部屋】という作品も収録されている。こちらにも「絡めとられた女」の姿がある。
なにかに絡めとられることで、女たちは自分の心の奥底に沈んでいた思いに気づく。
思いそのものは幸せでも不幸でもない。むしろ気づかずにいるほうが幸せかもしれない。
しかし気づいてしまったら、もう後戻りはできないのだ。
なんという静謐(せいひつ)な世界だろうか。
すべてが美しい。この小説に登場する人々すべてが優しい。こんなに美しくて優しくて、いいのだろうか? 現実感ってものが乏しくないか?
しかし読み進むうちに考え直した。現実の世が殺伐としてるからこそ、こういう小説があってもいいのだ、と。
正直なところ、私は昔から数学は大の苦手である。この小説に頻出する「数式が美しい」とか「証明がエレガントだ」といった表現は、感覚的にはわからない。
そういえば、東野圭吾の小説【容疑者Xの献身】にも数学者が登場するが、やはり数学に美しさを求める。ただ東野圭吾は、数学者にセリフで美しい数学を語らせているだけだが、小川洋子の場合は、地の文から美しいとか何とか大盤振る舞いである。でも、ごめんなさい。私、わかんない……。
さて【博士の愛した数式】に登場する数学者は、事故のため脳にダメージを受け、研究所を辞めざるをえなくなり、義姉に頼って生活している男性。
難解な数学の問題を解くことはできても、日々の生活の細かいことを80分しか記憶していられない。
新しい家政婦がやってきて、挨拶をかわしても、80分たつと忘れられる。だから何かと厄介な問題が生じ、せっかく雇った家政婦が長つづきしない。
そんな家へ、ひとりの若い家政婦がやってくる。この家政婦が、なんかもう、
できすぎである。
家政婦紹介組合に登録されたメンバーの中では最年少でありながら、どんなタイプの雇い主とも円滑にやっていく自信があり、料理も掃除も完璧。
高学歴ではないが、勘がよく、数学者の浮世離れした話を聞いて適切に返答できる。
素晴らしすぎる。
映画【博士の愛した数式】では、この家政婦を深津絵里が演じた。数学者を演じるのは寺尾聡。
本の帯に映画のことがデカデカと印刷されていたので、本をひらく前からすっかり私の脳みそが「仮想DVD状態」となり、読み始めたら頭の中で深津さん・寺尾さんが演技を開始していた。
一般的に、小説のセリフの部分を読んでいると、「話し言葉として少し不自然かな」と感じることがある。
しかし【博士の愛した数式】では、そういう不自然さを少しも感じない。だから、なおさら「仮想DVD状態」が強化され、映像を見る感覚でスルスルと読みすすめていけた。
まぁ話が出来すぎの感もなきにしもあらずだが、読者を無理に「泣き」へ持っていこうとしないところに好感が持てた。強いメッセージ性もなく、全体的に淡いけれどもきちんと味のある小説。