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ある事件にまきこまれ、成瀬純一(玉木宏)は脳に致命的な損傷を受ける。だが最先端の医療技術によって一命をとりとめた。 恋人の葉村恵(蒼井優)は帰ってきた純一を温かく迎えたが、事件前の純一とは様子が違うことに気づき、不安に駆られる。 東野圭吾の同名小説を映画化した作品。 評価=☆ (5つ星が満点) お正月の深夜にテレビで放送されたものを録画して、いまごろ見ました。 うーん……。 キャストは悪くないと思います。 けなげに恋人を支える女の子を演じる蒼井優は可愛いし、事件前と事件後のキャラの違いを演じ分ける玉木宏はなかなか芸が細かい。 しかしストーリーの要所要所がどうも不自然だし、彼らの行動ひとつひとつの動機がよくわかりません。それゆえ少しも感情移入できませんでした。 泣きモノの作品ですが、これでは泣きようがない。 たとえば純一(玉木宏)が、大切にしている日記をある人物に預けるシーン。 彼は脳の移植手術を受け、脳の提供者の人格に大きく影響されて、もともとは優しい人なのに、たいへん疑い深くなっています。 なのに、日記を預かろうという相手に対してはとても無防備。彼は「裏切らないか?」と聞き、相手が「裏切らない」と答えただけで、簡単に信用して日記を渡してしまう。 あとで「裏切ったなぁ〜〜〜」と吠えても、それは自業自得です。人を裏切る人間が「私は裏切りますよー」などと言うわけがない。 そもそも「脳を移植して、その提供者の人格に大きく影響される」という設定からして、すんなり受け入れられません。 こんなことが本当に起こりうるのか。脳の専門家に質問してみたいです。 
1968年、ニューヨーク。第二次世界大戦の混乱は去り、若者たちは平和と豊かさを享受する。その中でひっそりと暮らすユダヤ人のカイム(沢木順)は、「消息不明の杉原千畝が日本で見つかった」と聞かされた。 第二次世界大戦中にリトアニアで日本領事代理をつとめた杉原千畝(吉川晃司)は、ポーランドからナチスドイツの手を逃れ第三国へ出国しようとするユダヤ人を助けるため、大量の通過ビザを発給した。それは本国外務省に背く行為であり、日独防共協定を結ぶドイツへの敵対行為であった。 一介の公務員にすぎない杉原をそこまで動かしたものは何か。当時の事情を知らない者は、杉原がビザと引き換えに金を受け取っていたのではないかと邪推する。それをカイムは否定し、大戦中の闇に覆われたヨーロッパに投げかけられた一筋の光のような杉原の存在に思いを馳せる。 『SEMPO』特設サイト評価=☆☆☆☆ (5つ星が満点) とにかく歌がよかった。ミュージカルを劇場で見たのは初めてですが、鍛えぬかれた俳優さん、女優さんの生の歌声は本当に素晴らしいです。 その中で吉川晃司が初の主演をつとめると聞いて、最初は「大丈夫かな」と母親のごとく心配するファンは多かったかもしれないし、私も心配がなかったと言えば嘘になります。 マスコミの皆さんにも「ロックシンガーの吉川晃司がミュージカルに出る! これは春の椿事か!」という文脈で語られがちな気がします。 しかしこの舞台のために吉川晃司が書きおろした『光と影』という曲を何も考えずに聴いてみていただきたい。絶品です。名曲です。 
主人公の杉原千畝は、第二次世界大戦中のリトアニアで日本領事代理をつとめ、ポーランドから逃げてきたユダヤ人に通過ビザを発給しました。 なぜポーランドのユダヤ人が日本の通過ビザを求めたか。そこには当時の複雑なヨーロッパ情勢が反映しています(こちらに 「杉原千畝の年譜」として大まかにまとめましたので、ご参考までに……)が、これをミュージカルの歌や踊りで表現するのは、少し難しかったかもしれないと思いました。 ともあれ杉原の前には苦悩する人々がいて、杉原が発給したビザで希望の光を見いだした人々が確かにいたわけです。 しかし光が射すところには必ず影がある。 杉原ビザによる出国者は6000人を超えると言われますが、ビザを入手できない人もいたでしょう。戦争中のことですから、ビザを得て出国しても希望だけが待っているとは限りません。ビザ発給で「めでたし、めでたし」とはならない。 杉原はヒーローになった自分に満足しなかったでしょう。まだビザが足りない。一人でも多く救いたい。一枚でも多くビザを出したい。その反面、独断でビザを発給したことで外務省を追われる恐れがあり、ナチスドイツに刃向かったことで命の危険さえある。 ろくな食事もとらずに大量のビザを書き続けて身体は疲れ、もしかしたら「もうやめてしまおうか」と思うこともあったかもしれない。しかし杉原の代わりはどこにもいません。ユダヤ人の求めるビザを発給するのは杉原にしかできないことでした。 人々に光を投げかけるヒーローは自分の心に影を抱えます。 そういう杉原の姿に、様々な出来事にぶつかりながら歌いつづけてきた吉川晃司自身の姿が重なって見え、このミュージカルは吉川ファンの私にとって一生忘れられない作品になりそうです。 
夏休みで帰省中のハリー・ポッター(ダニエル・ラドクリフ)のもとへ、屋敷しもべのドビーが現れ、ホグワーツ魔法学校に戻ってはいけないと警告した。帰省先で肩身の狭い思いをしているハリーは、ホグワーツこそが唯一の自分の居場所と感じている。そこへ戻れないとはどういうことか。 ドビーの妨害をふりきってロン(ルパート・グリント)の空飛ぶ車でホグワーツへ戻ったハリーは、ハーマイオニー(エマ・ワトソン)ら親しい友人と再会し、新学期を迎えた。 だがホグワーツの生徒が石にされる事件が立て続けに発生。伝説の「秘密の部屋」が「スリザリンの継承者」によって開かれたのではないかという疑惑が広まる。ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人は一連の事件の謎を解こうと奔走する。 評価=☆☆☆ (5つ星が最高点です) テレビ放送を録画して見ました。いや〜長い。テレビだからCMが入るせいもありますが、3時間ほどの録画時間。劇場やDVDでも2時間半ぐらいになるのではないでしょうか? でも、空を飛んだり魔法のアイテムがいろいろ出てきたりで、見る者を飽きさせません。 それにイギリスの風景がいいですね。 ヨーロッパでは建物が石造りで、何百年も昔から使われていることが多いです。つまり伝統の蓄積がある。地下室を探せば何か由緒のあるものが出てきそうな、あるいは物陰に何か得体の知れないものが潜んでいそうな雰囲気が漂っています。 かたや日本では、明治維新や敗戦によって伝統の蓄積が中断したところへ、新しい文化がどんどん積み重なっていった。建物も木造が多くて、しょっちゅう建てたり壊したりしている。 われわれがテレビで時代劇を楽しんだ後、窓の外へ目を転じれば、まったく違う近代的な世界が広がっていて、時代劇は本当に「劇」でしかない。たとえば黄門様ご一行がどこを旅しようと、心の底では「しょせん京都の太秦の撮影所だし」などと思ってしまう。 ところがイギリスを舞台に「ハリポタ」みたいな魔法の物語を作ると違和感がないし、伝統の蓄積が物語に奥行きを与えていると思うのです。 とか言いながら、私は「ハリポタ」シリーズについては原作小説も読まず、テレビでオンエアされる映画を見る程度です。それぐらいで私は充分かな。 ストーリーは大ざっぱに言えば「水戸黄門」と同じだもの……。なにかトラブルが起こるけれども最終的には黄門様やハリーが登場して一件落着、というお話。 ただし、勧善懲悪のパターンを繰り返しながらハリー少年が成長してゆく点が「水戸黄門」とは大きく違うところ。 どんな学校でも入学があれば卒業があります。いつかはホグワーツを卒業するであろうハリーがどんなイケメン青年に成長するか。ストーリーよりもそちらの楽しみが大きかったりして(笑)。 
アメリカ帰りの優秀な心臓外科医・桐生恭一(吉川晃司)が執刀するバチスタ手術で起こった3件の術中死。 その調査を命じられたのは、心臓手術とは縁のない心療内科医の田口公子(竹内結子)であった。 田口は「チーム・バチスタ」と呼ばれる医療チームのメンバーひとりひとりに話を聞くが、原因は不明。そこで厚生労働省から送り込まれた白鳥圭輔(阿部寛)とタッグを組み、真相を解明してゆく。 海堂尊の同名小説を映画化した医療ミステリー。 評価=☆☆☆☆☆ (5つ星が最高点です) すでに原作小説を読み、内容を知っていての映画鑑賞でしたが、それでも想像以上のインパクトがありました。 患者の身体に人工心肺をつないで心臓と肺の働きを代行させ、本物の心臓をいったん止めて、心臓の肥大した部分を切り取るのがバチスタ手術。これについて桐生恭一(吉川晃司)は、「一度、患者を殺す」という言い方をします。 手術を終えて患者の身体をもとに戻し、心臓の再鼓動を待つ間、長く重い沈黙が手術室を包みます。 しかし心臓は止まったまま動かない。 手術の様子や心臓の画がリアルです。二度と蘇らぬ命の重みが胸に迫ります。 この衝撃的な死の真相を調査する田口公子(竹内結子)は、手術室でメスをにぎった経験がありません。彼女は心療内科医であり、患者の愚痴めいた話を親身になって聞くことが一番の仕事。 そんな田口ですから、初めのうちは事の重大さを認識していませんでした。 調査を進める中で、チーム・バチスタが手術のたびに味わう「心臓が再鼓動しないかもしれない」という恐怖感が、ふいに彼女の骨の髄までしみてきて、ヘナヘナと脱力してしまいます。 原作小説における田口医師は男性で、「血を見るのは苦手」と言いつつ冷静に調査を進め、病院長らと巧みに駆け引きをする。物語の語り手でもある田口医師は、あくまでも論理的な姿勢を崩しません。 いっぽう映画はカメラが冷静に物語を語りますので、女性の医師がヘナヘナになって情緒面を強調するぐらいで丁度いいバランスではないでしょうか。小説は小説として「あり」、映画における竹内結子さんの起用も「あり」だと思います。 ヘナヘナの田口公子は、私たちに「心臓が再鼓動しないかもしれない恐怖」を伝えてくれますが、この恐怖からチーム・バチスタの面々は逃げられません。 多くの患者が手術の順番を待っています。チーム・バチスタは人々の期待を背負わねばならぬ立場です。怖いから、失敗するかもしれないからと言って尻込みすることは許されないし、失敗すれば当然ながら非難を浴びる。誰も助けてくれないし慰めてもくれません。 手術室で無念の結果を前にして、執刀医の目元から落ちる一滴のしずくは、汗か。それとも涙か。 この一滴にチーム・バチスタの面々が抱える孤独感や苦悩のすべてが込められているのだろうと思います。 病院が舞台ということで、病気に苦しむ患者の側の人間ドラマを期待する人もいるかもしれませんが、本作では医師の側のドラマにスポットが当てられています。 登場人物の誰かが号泣すれば、あざといほどに人間ドラマがわかりやすいのでしょうが、チーム・バチスタのメンバーが泣くわけにはいきません。 ウェットな要素は前述の「一滴」と田口公子の涙ぐらいで、全体としてはドライな仕上がり。エンディングはEXILEの明るい歌で締めてます。映画の重い内容とは対照的で、どうかと思いましたけど、エンディングテーマまで重々しかったら後味がわるくて仕方ないし、これはこれで良しといたしましょう。 「ぱんどらさん、もしかして吉川晃司がエンディングテーマを歌わなかったから面白くないんじゃありませんか?」 正直なところ、そういう部分も少しありますね(笑)。 「EXILEはお嫌いですか?」 いえいえ、そんなことはありません。ただ原作者の海堂尊さんも本職の医師役で映画に出ておられましたし、吉川晃司も歌で本領を発揮してもらいたかったとも多少は思いました。EXILEの曲なら、話題の映画とタイアップしなくても充分に売れるでしょうし。 「海堂さんって医師が本職なんですか? もう作家活動が生活の中心なんじゃないですか?」 病理医だと伺ってますけど……作家と医師と、どっちが中心なのかな。よくわからないですね。 「ぱんどらさん、2月12日放送のTBSの『ぴったんこカンカン』見て怒ってましたね。どうしたんです? ちゃんと番組で『チーム・バチスタの栄光』の宣伝してたでしょう?」 2月9日の封切なのに、12日に宣伝してどうするんですか!? 日テレなんか8日の夜は、本作と同日封切の『L change the world』の宣伝しまくりですよ! せっかく役者さんやスタッフさんが頑張ったんだから、ガンガン宣伝しなくちゃダメです! 「内容に自信があるから、あざとい宣伝は必要ないっていう判断があったとは考えられませんか? なにしろベストセラーの映画化なんですから。それにしても相変わらず電子ポットみたいな人ですねえ。常にお湯がボコボコボコボコ沸いてるんだから」 そういう考え方もありますね。すみません……。 
「おとっつぁんの具合が悪いから沼津へ帰りたい」と言い出した花魁のお喜乃(小泉今日子)の前で、新粉細工職人の弥次郎兵衛(中村勘三郎)は「よっしゃまかしとけ」と胸をたたく。 そこへ弥次郎兵衛の幼なじみの喜多八(柄本明)がやってきた。歌舞伎役者の喜多八は舞台で大失敗をやらかして役者生命はないも同然。江戸を出るというお喜乃と弥次郎兵衛に「一緒に行く!」と食い下がる。 こうして三人の珍道中は始まった。 公式サイトお喜乃も弥次郎兵衛も喜多八も、それぞれ嘘や隠し事を抱えての旅。 途中で様々な人々と出会い、騙したり騙されたりするうちに所持金は底をつき、命さえ危険にさらされる。さて三人の運命はいかに、というお話。 「てれすこ」が何であるかは映画でお確かめくださいまし。 私は前売券を買って行ったのですが、前売券の特典だったのでしょうか、劇場のカウンターで「てれすこ」をいただきました。カウンターのお姉さんから「お早めにお召し上がりください」と言われたので、映画を見ながら食べましたけどね。 結論から申し上げますと、これはもう 爆笑ものでございました。 そしてキャスティングが絶妙です。「あの役者さんがこんな場面のそんな役柄で!」という驚きが笑いとともに起こる。 間寛平さんなんかほとんど出オチ。スクリーンに顔が映っただけで笑えます。 ラストでホロリと泣かせる要素はありますが、全体的に明るいトーンでまとまった気持ちのよい作品でございます。 浪人の役で 吉川晃司も出演しておりますので、皆様よろしくどうぞ♪ 
公爵の部下だった父の死後、兄から不当な扱いを受ける青年オーランドー(小栗旬)は、宮廷のレスリング大会でロザリンド(成宮寛貴)に出会った。二人は恋に落ちる。 しかしロザリンドは叔父のフレデリック公爵(外山誠二)によって追放され、いとこのシーリア(月川悠貴)とともにアーデンの森へ向かう。 一方、オーランドーも兄の存在に嫌気がさし、ロザリンドが来たとは知らぬままアーデンの森に逃げ込んだ。 アーデンの森にはフレデリック公爵に追放された前公爵――つまりロザリンドの父(吉田鋼太郎)が住んでいた。  というわけで、いろいろと事情を背負った高貴な人々がお供を連れて集まってくるアーデンの森で、明るい恋愛模様が展開される、蜷川幸雄さん演出のシェイクスピア劇でございます。 初演から3年を経ての再演は、2007年7月5日のBunkamuraシアターコクーンでの東京公演から始まりまして、私が見たのは仙台の イズミティ21大ホールにおける8月25日の昼の公演。 しかしね〜、何だかんだ言ってもウィリアム・シェイクスピアは16世紀の人。現代のわれわれから見ると、ストーリーは「そんなもんでいいのかい!」っていうぐらい大ざっぱ。 だいたい、み〜んな「あそこに行けば何とかなる」とばかりアーデンの森に集まっちゃうところが甘いというか、ご都合よろしすぎというか。それで何とかなってしまうのが、なお凄いんだけど。 セリフは修飾語がやたら多くて一度きいただけでは意味が通らないところもあるし、人間関係は芝居を見てても分からないしさ〜。(蜷川さんに叱られそうだ) いま私はこの記事を新潮文庫の『お気に召すまま』と会場で買ったパンフレットと首っ引きで書いています。 でもね、お芝居は「細かいことはどうでもいいや」と思えるぐらい すんごく楽しかった♪のでございます。(どうでもいいだなんて、またも蜷川さんに叱られそうだ) 実を言うと、私が本格的なお芝居を見るのは今回が初めてですが、やはり蜷川さんは凄い人なんだなと実感いたしました。 まずオープニングで驚いた。観客席の後ろの出入口から、役者さんたちがドドドドドッと出てきて通路を走りぬけ、舞台へ上がったかと思うといきなり着替えを始めた。小栗旬さんもオーランドーに変身です。 (ちなみにオーランドーは「ドー」と伸ばすのが正しい。ハリウッドスターのオーランド・ブルームも、「オーランドー」と書くほうが、より英語に近いカタカナ表記になる。発音も「オーランドォ」ぐらいにすると本物っぽいよ) 場面が変わると今度は白いドレスに白い日傘のロザリンドとシーリアが、やっぱり客席側から登場。この後も役者さんたちはしばしば客席側から登場いたします。 これは一種のファンサービスかしら♪ なにせ成宮寛貴と小栗旬、二人の人気俳優が顔をそろえているんですものね――と安直に考えたけど、劇中にこういうセリフがあるんです。 「この世界すべてが一つの舞台……」だから客席とステージの区別なくホール全体が舞台。役者さんたちがホールいっぱいに駆けまわる、それはそれは賑やかで楽しいお芝居が展開されたのでございます。 それにしても、いったい階段を全部で何段、昇ったり降りたりしたのでしょうか。いや〜役者さんって体力勝負なんですね。 もちろん顔も大事。だって『ガラスの仮面』の月影先生も「顔は役者の命です」って言ったもん! ロザリンド役の成宮寛貴さんは目がぱっちりしてて女性的なメイクが映えるけど、やや口が大きくて男性的な声質で、ちょっと新宿二丁目っぽくもある(成宮ファンの皆さんゴメンナサイ)。そういう猥雑さも蜷川さんの狙いかもしれません。 いっぽうシーリアは、てっきり本物の女性が演じているのかと思ったほど女らしい! (いま手元のパンフレットを見ても、シーリア役の月川悠貴さんは惚れ惚れするほど美しい……) でも女優さんが出てくるわけがない。これは「オールメール」、つまり全ての役を男性が演じる芝居なのです。 日本の歌舞伎もそうだけど、シェイクスピアの時代のお芝居はすべて男だけで演じられていたのですね。そういえば男ばかりの芝居の世界に女が一人まぎれこんで騒動を巻き起こす、こんな映画もございました。 さらに本作では、男性が演じる女のロザリンドが、アーデンの森でギャニミードと名のって男のふりをするという一ひねりが加わります。 男のふりをしたまま恋しいオーランドーに再会したロザリンド。すぐ自分の正体を明かせばいいのに、そこでちょっと悪戯心が出ちゃって、男のままオーランドーをからかうんですね。 (「いくら男のふりをしても顔を見ればロザリンドだって分かるじゃねーか!」というツッコミはなしにしよう! なにせシェイクスピアだから! これは喜劇だから! 大らかな心でどうぞ) ところがロザリンドは思いがけずオーランドーの熱い恋心にふれた。しかし「わたくしがロザリンドよ」と名乗りを上げることもできないほど状況はねじれている。男のふりをしたロザリンドに惚れちゃう女まで出てくる始末。 もつれにもつれた恋の糸を前にしてオーランドーたちは叫ぶ。 「どうしてあなたに恋しちゃいけないんだ!」いいえ、いいえ、オーランドー様! 小栗様! 恋しちゃいけないなんてそんな法律はございません! たとえあったとしても、あなた様のためなら、わたくしは法に背くことも厭いませんわ! そんなセリフを勝手につくって叫びたいほど小栗旬くんの憂い漂う端正なお顔立ちが素敵でございます。こちらの胸まで本気で苦しくなるような気がいたします。 笑いに満ちあふれたお芝居ながら、こういう場面では客席がシーンと静まり返ります。苦さと甘さが分かちがたく混じり合った恋の味は、シェイクスピアの時代であろうと、現代であろうと、変わらぬものでございましょう。 大ざっぱなストーリーに過剰すぎるほど修飾されたセリフが飛び交う芝居ではありますが、よ〜くかみしめてみると不変の真理がそこかしこにちりばめられている。やはりシェイクスピアは偉大な劇作家なのだなぁ。 最後にはロザリンドの「魔術」によって4組のカップルが誕生いたします。まあ魔術っつったって要はロザリンドが正体を明かせばいいのですけれどもね。 ただでさえ恋には苦しみが伴うものであり、そのうえ変に自分を偽るとロクなことはない。しかし人間は得てして複雑な状況に自分を追いこみがち。そんなときには「自分に素直になる」ことほどシンプルで強力な魔術はないのかもしれません。
オール宮城ロケの本作が、5月12日から宮城県で先行上映されている。私も見てきたが、これはすごくいい。とくに 瑛太がカッコいい。全国の瑛太ファンは必見。  原作小説のほうは、正直なところ良さが今ひとつ分からなかった。伊坂幸太郎の文体や構成は、ときに「胃もたれ」するし、登場人物の感情が明確に伝わってこないことがある。 「それはぱんどらさんが『読み取れてない』ってことでしょ」 はい。そういうことです。恐縮です。 しかし映像化されれば文体は関係ない。 伊坂ワールドを読み取れない私のような不粋な人間でも、映画はものすごく楽しめた。 ところで原作小説をお読みになったかたは、「映像化は無理かも」と言われていた例の「仕掛け」が気になるだろう。 私も気になって、最初のうちは「そのへん、どうなのよ?」という穿った見方をしていたが、やがて映画そのものに引き込まれ、「仕掛け」への懸念が薄れた。 そこへ「仕掛け」がドンと来た。 「あっ、そういうやりかたがあったか! へ〜っ! そうかそうか!」私は感心し、映画館の中で声を出さずに笑った。 ボブ・ディランの曲も良すぎるほど良い。主役の濱田岳くんは歌がうまいね。 エンディングは爽やかで、それでいて寂しさの風がひとすじ吹く。 すべての答えは風の中にある。 伊坂ファンの皆様、ご懸念めさるな。
昨年末にテレビ朝日でオンエアしたものを録画して、年が明けてから見た。主演の吉永小百合さんはとても好きな女優さんの一人だが、この作品の出来は……ただ唸るしかない。 吉永小百合と渡辺謙が夫婦を演じるという点からして疑問。年齢差を考えると不自然だ。とはいえ女性の年齢のことなんて、あまり言いたくないので、話を先に進めよう。 時代設定は江戸末期から明治にかけて――で、いいのかな、たぶん。 淡路島の人々が、ある事情で北海道へ移住することになった。その船の中のシーンから映画は始まるのだが……この人たちが移住を迫られた事情は、文字でチャチャっと説明されるだけ。しかも文字がものすごく速く流れるものだから、ほとんど読み取れない。読んでも記憶に残らない。 まずはこのへんの事情から、文字ではなく映像で丁寧に描いてくれればいいのに。 悲しげな場面はいっぱいあるのに、疑問符ばかり頭に浮かんで、泣くまでには至らなかった。 なんというか、壮大な「枠」をつくり、そこに大物俳優を連れてきてお雛様のごとく奉っている……という印象。 うちの母も吉永小百合が好きで、この作品を楽しみにしていたが、見終わった後は「うーん……」と唸るのみ。 巨額の制作費がもったいない。
日テレの『金曜ロードショー』でオンエアしたものを見た。 ちかごろ話題の邦画を見ると、たいてい堤真一が重要な役どころで出演している。本作もその通りだけど、この人は他の作品のイメージをひっぱらないね。それぞれの作品の中で求められるものをキッチリ表現し、その色あいを他の作品に滲ませない。 日本の映画関係者は堤真一を表彰すべきだ。 舞台は昭和30年代の東京。空を見あげれば建設中の東京タワーが目に入る。 堤真一が演じるのは、小さな自動車修理工場「鈴木オート」の社長。そそっかしくて短気で、従業員を雇っても「出ていけ!」なんて怒鳴りつけるものだから、すぐ辞められてしまう。 田舎から東京へ出てきて、鈴木オートの住み込み従業員となる少女「六子(むつこ)」を演じるのが堀北真希。ほっぺを赤くした、ちょっと田舎っぺなメイクが可愛らしい。 東京へ行く列車の中で「どんな仕事するんだべ。社長秘書だべか♪」と夢をふくらませていた六子は、鈴木オートの古びた小さな建物を見て愕然とする。しかし社長の妻(薬師丸ひろ子)のフォローがあり、夫妻の息子も六子になつき、少しずつ東京生活に慣れていく。 鈴木オートの向かい側には、駄菓子屋を経営しながら文学賞を狙って小説を書きつづけるインテリ青年の茶川(吉岡秀隆)が住んでいる。 この茶川に、近所の飲み屋の雇われママ(小雪)が、「知り合いの子供なの。先生お願い♪」と言って、淳之介という少年(須賀健太)を預ける。茶川は酒の勢いと女の色香のせいで正常な判断力がいささか失われた状態で、淳之介を引き受けてしまう。 鈴木オートと、茶川の駄菓子屋。この二軒を中心に物語が展開する。 ここまで設定を理解し、テレビの番宣で繰り返し流れた映像(吉岡秀隆と須賀健太がひしと抱き合ってオイオイ泣き崩れるシーン)を思えば、そうかそうか赤の他人が一時的に「擬似親子体験」をしたことで情が移って別れが辛くなるのだな……と、だいたいの展開が読めてしまう。 だから私は泣きの場面なんてどーでもよかったんだが、笑いの場面がすごくよかった。もう爆笑につぐ爆笑。これがなければ、とっとと見るのをやめてたよ、私。 で、笑いの場面をここに文字で再現しようと思ったんですが、こういうのは言葉で説明しちゃうと面白さが半減……どころか3分の1ぐらいになってしまうので、ご興味のあるかたはDVDでご覧くださいまし。年末年始のお休みにふさわしい娯楽作品です。 あまりにもご都合のよろしすぎる、現実にはありえない展開もあるにはあるけど、登場人物が善人ばかりでホッとする。殺伐たる現代社会に生きる我々にひとときの息抜きを与えてくれる。 来年には本作の続編が公開予定とのこと。
福島県いわき市の常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)には子供のころ連れて行ってもらったことがある。私を含め、そういう思い出を持つ宮城県民は非常に多いと思う。 夏休みで、その日は「ピンクレディーが来る!」という話もあり、すさまじい混雑ぶりであった。でも私たちは最初からピンクレディー目当てというわけではなかった。なにも知らずに行ったら、たまたまピンクレディーの公演日だったのだ。チケットとか整理券の発行はなく、だから地元の人たちは「早ぐ行っていい場所とっぺ!」なんて話をしていたのかもしれない。 私たち家族は遠くからピンクレディーを眺めたが、その姿は本当に小さかった。「どっちがミーちゃんで、どっちがケイちゃんだが、わがんねぇ」と私はブツブツ言った。 その常磐ハワイアンセンターが昭和40年代に建設されたもので、それ以前のいわきが炭鉱で栄えた町だったなんて、今の今まで知らなかった。 手元の百科事典で調べてみると、いわき市は「常磐炭田」で栄えたが、時代が変わって石油が多く使われるようになり、石炭の需要が減って、1976年には全面閉山したということだ。 全面閉山の前の段階で、大幅な人員削減があり、さびれる一方の町を救うために登場したのが「常磐ハワイアンセンター」である。ハワイアンというからにはフラダンスショーが欠かせない。 映画はフラダンスのダンサーを募集するところから始まる。 ダンスの講師として、平山まどか(松雪泰子)が東京から呼ばれた。黒や茶色や灰色で塗りつぶされたような町の景色に、まどかの赤い口紅、白い肌、鮮やかな色づかいのコートがくっきり映える。 顔をススで真っ黒にした炭鉱夫たちは「ハワイが来たぁ!」と口々に叫んで興奮するが、まどかは「バッカじゃないの!?」と高飛車な態度を取る。 「気取ってんじゃねえ! ハワイで山をつぶす気か!」と町じゅうに怒号が飛び交うなか、ダンスのレッスンに集まった女たちは未経験者ばかりが4人。まどかは気が重い。しかし東京に帰れない事情があり、ここで講師をやる以外に道はなかった。 そうこうするうち、山に人員削減の大ナタが容赦なく振るわれる。 男たちに解雇の辞令が配られるシーンで、高橋克実さんが「30年も働いてきたのに、最後はこんな紙きれ一枚で終わりかよ!」といった意味のセリフを言う。 「ごんながみぎれいぢまいで」というふうに発音しておられるが、ここは 「こったらかみっコいぢまいで!」とすると、より東北人らしい感じが出る。東北弁はけっこう難しいよ。なんでも濁点つけて発音すればいいというものではない。(ただし私は宮城県の人間で、ふだん話す言葉は福島の方言とは違うから、あまり偉そうなことも言えないが) で、解雇の決まった男が不機嫌なまま帰宅すると、娘の早苗(徳永えり)が幼い弟や妹たちの前でフラダンスの衣装をうれしそうに見せびらかしている。 「なにやってんだ!!」 男は怒鳴り、早苗の顔を殴りつけた。 事態を知った平山まどかは、「……ぶっとばしてやる」とつぶやいて、銭湯の男湯にのりこみ、男と格闘を演じる。 松雪泰子ってこういう激しい役が似合う。カッコいい女優さんだと思う。 しかし平山まどかの奮闘もむなしく、早苗はダンスを辞めることになった。男は夕張炭鉱に新しい職を得て、一家は北海道へ転居することになったのだ。 早苗は親友の紀美子(蒼井優)に夢を託し、旅立ってゆく。 このシーンは泣けた。映画館で私の隣に座っていたのは母である。私が泣いたシーンで、母は私と同じように涙をぬぐっていた。ああ血は争えぬ。 やがてハワイアンセンターのオープンが迫り、ダンスのレッスンも熱を帯びてくる。 フラガールたちがプレオープンイベントのステージへ出ようという直前、「炭鉱で落盤事故が起きた」という知らせが入る。小百合(南海キャンディーズの山崎静代)の父親が重傷を負ったらしい。 平山まどかは常々、「プロのダンサーは親の死に目にもあえない厳しい仕事なのだ。そんなときでも笑顔でステージに立つのがプロなのだ」とフラガールたちに言い聞かせているが、山の仕事の厳しさを実感し、そうも言いきれないと思い直す。 「……今日は帰りましょう」 すると小百合がオンオン泣きながら訴える。 「踊らせてくんちぇ! そのほうが父ちゃんもきっと喜ぶから!」 南キャンしずちゃんの泣きの演技は凄いぞ! 相方の山ちゃんにはちょっと気の毒だが、しずちゃんは女優としてもっともっと売れる気がする。笑った顔も愛嬌があるし。 うちの母は女優・山崎静代のファンになったようだ。 それに、ダンス講師役の松雪泰子、フラガールのリーダーの紀美子を演じる蒼井優、二人が踊る場面はなかなかの迫力である。 ストーリー的にはこれ以上くわしく説明しなくても、皆様にはおおよその見当はつくかと思う。 「お約束の展開」「要するに泣きモノ」と言ってしまえばその通りだが、田舎町が人々の底力によって活気を蘇らせ、閉塞感をぶち破る様子が実に良いではありませんか。 ただし「昭和の空気感が懐かしい、あったかい」なんてコメントはしたくない。 世の中、昭和が「あったかい」と思う人たちばかりではない。昭和の時代に苦労を重ねた人々が大勢いた。だからこそ現世の繁栄がある。 そのことに感謝すべきであって、「昭和は良かった、あのころに戻りたい」と後ろ向きになるばかりでは、平成の閉塞感をぶち破ることはできない。 映画『フラガール』公式サイト
先日このブログで「 伊坂幸太郎【アヒルと鴨のコインロッカー】が映画化され、撮影はオール仙台ロケ」と書いたばかりで、9月18日の河北新報に映画の記事が出た。ジャストタイミングである。 撮影は東北学院大学、八木山動物公園(とくにレッサーパンダ付近)、野蒜海岸などで行われた。 (もしかして「野蒜海岸」は地元の人でないと読み方をご存じないかな? 「のびるかいがん」です) 原作者の伊坂幸太郎も撮影現場を2度訪れ、試写を見て「すごくいい映画」と感想を語ったそうだ。 気になるキャストは以下の通り。 「椎名」 濱田岳(はまだ・がく)  「河崎」 瑛太(えいた)  「琴美」 関めぐみ  「ドルジ」 田村圭生(たむら・けい)  そのほか大塚寧々、松田龍平らが出演する。 以前から瑛太や大塚寧々や松田龍平が出るとは知っていたが、どの役を誰が演じるのかは知らなかった。 私は本を読みながら、「椎名」に瑛太、「琴美」に大塚寧々、「河崎」に松田龍平をイメージしたが、実際のキャストはまるで違った。若い役者さんたちが躍進している。 濱田岳は『3年B組金八先生』に出た人だそうだ。 関めぐみは、ドラマ版『がんばっていきまっしょい』、映画『ハチミツとクローバー』など話題作に立て続けに出演している。 田村圭生は、映画『THE WINDS OF GOD 〜KAMIKAZE〜』に出ている。 なお、映画『アヒルと鴨のコインロッカー』の公開はもう少し先のこと。 全国に先がけて、来春、仙台で公開予定だそうだ。 全国の伊坂ファンの皆様、ごめんあそばせ♪ 東京創元社のホームページ【せんだい・宮城フィルムコミッション】ホームページ宮城県/みやぎ観光NAVi
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