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ギタリストの「熊井」は常にギターを離さない。それは心底ギターを愛しているから――というより、ギター以外に何もないから。 先行きに不安を感じながら、孤独をかみしめながら、今は会えない「TT」を想いながら、今日も熊井はギターを弾いている。 中身を知らずにタイトルだけ見たときの印象と、本を読み終えた後の印象が、大きく違います。正直なところ、このタイトルの意図がよくわかりません。 でも読んでいる最中はタイトルなんかどうでもよくて、かなり引き込まれました。熊井とは年齢的に近いし、その心情には共感できる部分がたくさんあります。 本書は一種のラブストーリーなんでしょうけど、熊井がTTを想う気持ちは温度も湿度も低い。ずきずき胸が痛むことはないし、「好きな人いないの?」と問う人にTTのことを話すこともない。話さないというより「話せない」のほうが近いかな。いい歳して片想いもないだろ、とか言われそうだもの。 ただ胸の奥のほうにTTへの想いがあるだけなんですね。連絡先も知らないし、積極的にTTを探そうという気にもなれない。TTへの想いを「ひきずってる」のとは違う。TT以外の人と交際したこともあるけど、うまくいかず、いまだに熊井は独り者。 ギタリストといってもテレビに出るわけじゃなく、花形ミュージシャンのバックでギターを弾く、職人っぽいギタリスト。暮らしはそんなに豊かじゃない。どちらかといえば、貧乏。TTへの気持ちは置いといて、自分がギタリストに向いているかどうかも置いといて、とにかく仕事しないと生活できない。 先行きに不安はある。でも健康診断なんて不安を増長させるだけだから「しゃらくさい」っつって、受けずに済ませようとするのね。 ところが、しぶしぶ受けさせられた健康診断で「再検査を要する」という結果が出た。熊井の不安は色濃くなる。熊井とTTとを結ぶ糸は切れちゃったまま。 ……と思っているのは熊井だけで、意外なところに意外な糸があって、それを熊井は気づいてない。 はたして熊井は気づくのか。それとも気づく前に何かとんでもないことが起こってTTとは会えないままに終わるのか。 ところで「熊井」とか「TT」とか書くと、それが男だか女だか、読む人には分かりませんよね。 こういう書き方が作品中では巧みな仕掛けになっています。ひとりの人物を男だと思って読んでいると代名詞が「彼女」だったりして、なかなか面白い効果を上げています。 ただ中盤では、この仕掛けが私には少し凝り過ぎに感じられて、かなり混乱しちゃいました。あまり凝ったことをしなくても、面白い小説ではないかと思いますが、「これぐらい凝ってるほうがいい」とお思いのかたもいらっしゃるでしょうし、意見は分かれるかもしれませんね。 巧みな仕掛けに敬意を表して、また本書をこれから読む皆様の楽しみを損なわぬように、登場人物の性別が分かってしまう「妄想キャスティング」は省略させていただきます。あしからず。
世の中には、内容が面白いのに文章のリズムが合わない本がある。 とくに 句読点の位置は、ものすごく気になる。本を読むときは黙読だが、頭の中では音読の状態になっている。だから予想外の位置で句読点を打たれると、読みにくくてしゃーない。 だが、それは私にとっての「予想外」である。素人のヘナチョコ読書人が「こんなところで句読点かよ!」とツッコミを入れても、プロの作家に「いや、ここは句読点を打ちたいんだよ」と言われれば返す言葉はないのだ。 しかし絲山さんのこの本はいい。文章のリズムが肌に合う。 内容的にも共感をおぼえるところが多い。 たとえば「オトコのファッション」について。 ≪ 競馬で十万円勝ったとして、ファッションに使うなら変なスーツなど買わずに三万円の白シャツを三枚揃えることをおすすめします。 ≫ わかるなぁ。 私はオーソドックスなスーツの似合う男性が好きだが、さらに言えば、スーツの上着をぬいで白いシャツとネクタイをさらした男性の姿に、たまらなく心ひかれる。 そして私の好きな男性のプロトタイプは肩幅の広い吉川晃司である。 以前おつきあいしていた男性が、一枚の写真を見せてくれた。わりに肩幅のある身体にシャツとネクタイを着けた彼を見て、なんかもう私の頭の中のネジが一斉にゆるんだ。 で、この話を過去形で書いていることからお分かりのように、私の恋は無残な終わりを告げた。 心の痛みを友人に訴えると、「そうかぁ……やっぱり終わったんだ。あんたにあの人は合わないと思ってたよ」と言われた。 なにが「やっぱり」だよ! もっと早く言ってくれれば、あたしだって対処のしかたがあったのに――と思ったが、口には出せなかった。 恋の病で頭がパヤパヤしてる女に、「あの人はやめたほうがいいと思う」と言っても聞く耳を持つはずがない。ヘタをしたら「なんでそんなこと言うのよ!」とキレるかもしれない。 要するにオトコを見る目がないんだわね、あたし。 しかし始まった恋は止められない。オトコを見る目があるかどうかには無関係だ。言ってみれば生まれて初めてスキーをはいた人間が、蔵王かどこかの山の上にいきなり立たされるようなもの。転ぼうが雪だるまになろうが、とにかく滑り降りるしかないのである。 宮城県内にお住まいで、長身で肩幅が広くて、「オレって吉川晃司に似てるかも」と自覚しておられる殿方には、三万円の白シャツを三枚揃えるようなことは、できればおやめいただきたい。
短編2つを収録した本。表題作の『イッツ・オンリー・トーク』と、『第七障害』。 『イッツ・オンリー・トーク』は、『やわらかい生活』というタイトルで映画化された。 本の帯に寺島しのぶと豊川悦司の写真がある。 『イッツ・オンリー・トーク』を読んでいるとき、ヒロインが「Kさん」と呼ぶ痴漢のセリフにトヨエツの声をあてたら、すごく合った。 (あ……もしやトヨエツは痴漢の役ではないのか? 違ってたらごめんなさい) ヒロインの寺島しのぶは、よくイメージできない。 絲山秋子の小説を読んでいると、ヒロインは絲山秋子の顔になってしまう。 このかたはご自分のことをよく小説に書いている。芥川賞受賞作の 【沖で待つ】を読んでみるといい。まず著者略歴を見てから、小説を読むと「略歴そのまんまじゃん……」と思う。 これは私自身の思い出と重なる作品なので、ぐぐっと作品世界に入り込んで読めたけれども、もし私と絲山秋子との年齢差が大きかったり、小説と重ね合わせる思い出がなかったりしたら、純粋に小説として楽しめたかどうかはわからない。 【沖で待つ】も、【イッツ・オンリー・トーク】も、さらさらして読みやすいとは思う。 【イッツ・オンリー・トーク】はHな場面にウンザリさせられたけど、ちゃんと読んでみたらそれほど淫乱な作品でもなかった。 ヒロインが生きにくい世の中を何とか頑張って泳いでいってるなぁ――というのはよくわかる。 だけど、それ以上の感慨はわいてこない。 巻末の解説は、「この作品が大好きです光線」を強力に発している。それを読んで、ああ私の読み方が悪いのかしら、あるいは感性が歪んでいるのかしら……と思ってしまったが、感慨がわかないものはどうしようもない。 全国の絲山秋子ファンの皆様、ごめんなさいね。 作品自体が悪いと言う気はないわ。 これは心の問題なの。相性の問題なの。
よくも悪くも、「絵画的」という印象。 ラストまで読んでみて頭に浮かんだのは、一枚の絵である。 海の色は鈍い青。雷をつれてくる黒い雲。 砂浜でチェロを弾く男がひとり。 この絵からイマジネーションをふくらませて物語を書いたら、こうなりました、というのがこの本かなと思った。(絲山さんにきいたわけではない。たんに私の想像) 美しくて哀しい物語だけど、まぁ悪く言っちゃえば「だから何なのよ?」って感じで、オチらしいオチがない。ただ美しい絵が一枚あるというだけだ。そういうの、私は嫌いではないけれど、できればもう少しオチてほしかった。 絲山秋子の芥川賞受賞作 【沖で待つ】も、やはりオチらしいオチがなく、本そのものに鮮明な感想を持てなかった。でも私の記憶とオーバーラップする部分が多いので、このブログでは開き直って自分のことばかりズラズラと書いてしまった。 ところで、ものすごくリアルなものと、ものすごーくリアルでないものが作品に同居しているのは、絲山秋子の独特の世界だと思う。【沖で待つ】では死んだ友人の幽霊が登場するし、【海の仙人】では「ファンタジー」という名の、あんまり神々しくない神様が登場する。 実を言うと、私は恩田陸の超能力もの小説が苦手科目で、2ページくらい読むと目が文字を追いたがらなくなるが、そういう意味では【海の仙人】も危ういところだった。 冒頭でファンタジーが登場して、主人公の「河野」がファンタジーに「何してはるの?」と問いかける。(河野は大阪出身である) ファンタジーの返答。 「俺か、俺は大したことないぞ。大体、神というものは何もしないものだ」 うわー。神様かよ。うーん……このまま図書館に本を返そうかな。 ――と思ったが、もう少し読んでみっか、と気持ちを切り替えた。 河野はデパートに勤めていたが、宝くじに当たって勤めを辞め、釣りをしたり泳いだりして海辺で一人暮らしをしている。まさに海の仙人。そこへファンタジーが現れて河野の家に居候を決めこんだ。 河野には恋人もいなかったのだが、運命的な出会いがあって、「かりん」という名の女性と交際を始める。 ある日、デパート時代の同僚の「片桐妙子」が河野を訪ねてやってきた。 かりんと河野と片桐が、やがて微妙な人間関係を作り上げるのだが……ネタバレも野暮なので、あとは本で読んでくださいな。 妄想読書人ぱんどらの脳内では、この「片桐」のイメージがいちばん鮮明であった。赤い車とか、赤革のバッグとか、カシミヤの丈の長いコートとか、そんなのが似合いそう。 実際、本の中の片桐は真っ赤なアルファロメオGTVに乗って登場する。待ち合わせ場所で河野が片桐を見つけられなくて、あたりを見回していると、 「どっこに目ェつけてんだよ!」とGTVの窓からダミ声で叫ぶ女が、片桐である。 しかし片桐、すごくいいやつなんである。可愛いところもある。読んでいけばわかる。私はこの本の中では片桐がいちばん好きだ。 片桐みたいに男ことばで叫ぶ女ってリアルな世界にもたくさん存在しそうだが、それがいきなり、まったくリアルでない「ファンタジー」みたいなヘナチョコ神と絡むんだから。絲山ワールドはわからない。 そうかと思えば、【イッツオンリートーク】は、やったり濡れたり寝たりイったりイかなかったりする場面が多いようで、私は辟易してあまり読み進めていないのだが、まぁリアルな話ではある。 ファンタジーからイっちゃう(どこへ?)話まで、絲山ワールドの針の振れ幅はずいぶん広いようだ。
この本を読み終えた瞬間、古い記憶が怒涛のごとく頭の中になだれ込み、脳がフリーズした。 そんなこと言ったって、このブログを読んでいる皆さんには訳がわからないと思うけど、このまま私の超・個人的な昔話に入ってしまおう。今日のぱんどらは壊れています。どうか悪しからず。 その昔、仙台の大学生だった私が就職活動を始めたころはバブル経済の真っ只中で、どこの企業も新卒の採用数が多く、「空前の売り手市場」といわれた。街も時代もキラキラしていて、テンションが高かった。 私が就職を決めたのは某メーカーの営業職。それが第1志望だった。人生がバラ色に見えた。 今でこそ自分が営業職に向かない人間だと充分に承知しているが、当時は何の根拠もなく「あたしは何でもできる! どこでも行ける!」と思っていた。本当におバカさんである。 女性の営業職が多い会社だ。初日の朝礼で営業部一同の前に立ったとき、きらびやかなお姉さまがたの数に圧倒された。男性はスポーツ絡みの採用が多く、みな体育会系のガッチリした長身。やはり圧倒された。 ところが、お姉さまがたは性格がきついし、体育会系は部長から一般社員まで助平が多い。なかでも部長は極めつけの女好きで、噂では取引先の女性社員と不倫関係にあったらしい。 新入社員の歓迎会の二次会で、カラオケのあるバーに行ったとき、この色きちがい部長が私の右隣に座りやがった。左隣には課長がいる。新入社員の私は動けない。部長は私のひざに手をおき、身をのりだすようにして課長に話しかける。気色の悪いこと、この上ない。 でも、なんにも言えなかったな。 【沖で待つ】に収録されている短編『勤労感謝の日』のヒロイン・鳥飼恭子みたいに、「どさくさにまぎれて新入社員のひざに触るなんて許せねえ!」ぐらいの暴言、吐いてやればよかったかな。 ぶっちゃけた話、私は入社後1年と経たないうちに、諸々の事情(部長とは関係なし)で、この会社を辞めちゃったのだから。 あたしのキャラに合わない会社だと今は思うので、部長や先輩たちに変な恨みつらみは持っていないけど。 小説の中の鳥飼恭子は、後輩の水谷ゆかりにこうきかれる。 「鳥飼さん、仕事で憧れってありました? (中略) この人みたいに働きたいとか、こういうふうになりたいとか」 そして鳥飼恭子の答え。 「ない。一度もなかったね」 そう。憧れの女性社員なんていなかった。 どのお姉さまも外見は美しい。先輩として厳しく指導してくれるのも有難い。「ねぇ、タバコ買ってきて」とか「お弁当の買い出し頼むわ。あたし、ノリ弁ね」とか言われるのも、ちょっと走って買いに行けば済むことだ。 私は従順な犬のように「はい!」と明るく応じる。でも、お姉さまがたに憧れたことは一度もない。みんな何となく疲れていて、トゲトゲしていて、仕事で他人が失敗することを喜んだ。そうやって他人を追い抜いても、女性の部長や課長は一人もいない。しかも、みんな独身で、彼氏がいる様子もない。もちろん私が知らないだけで、なかには彼氏もちの人もいただろうが、私と同じ課のX子さん(29歳)は「彼氏いない暦29年」なのだと自分で言った。ちっとも幸せそうに見えなかった。 そして私も幸せではなかった。仕事をおぼえられなくて叱られた。社内でよく泣いた。電話に出ても用件をメモするのを忘れ、先輩に正しく伝言できず、また叱られた。でも、他人が私を不幸にしたわけではない。私が自分自身を守り、幸せにする方法を知らなかったのだ。 仕事は少しも楽しくなかったが、「こんな先輩たちをいつか仕事で追い抜く。かっこよく仕事をする」という気持ちだけが私を支えていた。出世したいとは思わなかったが、たとえ結婚退社するにしても、もう少しマトモに仕事ができるようになってから、彼氏のいない先輩たちを尻目に「うふふっ♪ お先に失礼しまーす」とか言ってみたいではないか。(こんな私もかなり性格がゆがんでいる) そのうちに気持ちの面よりも健康面が先におかしくなり、病院に行ったりした。だんだん気持ちもしぼんできた。 ある大雨の朝だった。さしている傘が重く感じられるほどのドシャ降りの中、私は「会社に行きたくない」と思いながら幽霊みたいにソロソロと歩いていた。会社へ向かう以外に何の選択肢もなかった。 ……違う。選択肢はある。辞めればいいのだ。 会社で泣いてばかりでカッコ悪いまま辞めるのは嫌だが、このまま勤め続けてもカッコいい女になれるとは思えない。 同期入社の連中とは、よく夜に集まってドライブしたり、酒を飲んだりした。そういう楽しみを失うのは寂しかったが、もう身体が言うことを聞かなかった。 私が会社を辞め、アパートを引き払う前の晩、連中が集まってくれた。 「おまえ、これからどうするんだよ……?」とAくんが心配そうにきいてくれた。 さきのことは何ひとつ決まっていなかった。 【沖で待つ】に収録されているもう一つの短編『沖で待つ』に、「太っちゃん」という男が出てくる。ヒロインの「及川」と、会社で同期の「太っちゃん」は、男女の関係にはない。まぁ友達といえば友達なのだろう。 でも本の帯にある「仕事を通して結ばれた男女の信頼と友情」という四角四面な言葉は、なんとなく、しっくりこない。及川と太っちゃんの関係にしても、私と同期入社の連中との関係にしても。 顔を合わせても仕事の話はほとんどしない。酒を飲むときは、くだらないバカ話。でも先輩の悪口は言わなかった(言ったかも知れないけど、覚えてない)。ごく個人的な話を突っ込んで聞きだすこともしなかった。「このへんまでなら、話しても、質問してもいい」っていう暗黙の一線があったような気がする。 会社を辞めて以来、同期の連中には一度も会っていない。自分のことで頭がいっぱいで、「あの連中に会いたい」とか「いまごろ、どうしているだろう」とか思うこともなかった。 なのに、【沖で待つ】を読んだら、あのころの記憶が蘇って、どうしようもなくなった。 ねえ、みんな。私はここにいるよ。そこそこ元気にやってるよ。 みんなは今でもちゃんと働いてるんだろうね。もう大きいお子さんがいるのかな。家を建ててローンの支払いがあったりするのかな。怖いお姉さまがたはどうしてる? 助平の部長はどうしてる? いやー、怖いから会いたくはないけど。 同期のみんなには、会いたいような、会いたくないような……微妙な感じ。 懐かしいけれど、会ってしまったら胸の中がずきずき痛みそうな、そんな気がするよ。 だから、もう会えない。会わない。だいいち、連絡先もお互いに知らないもんね。 あのころは楽しかったね。ありがとうね、あのころ、いろいろ話を聞いてくれて。 その思い出だけで、今はいいよ。
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