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中学生の頃からボクシングジムに通っている大沢さんに向かって、僕は訊ねた。 これまでに喧嘩をして誰かを殴ったことはありますか? 一度だけ殴ったことがあると答えた大沢さんは、「本当はこの話をしたくないんです」と言いながら、おもむろに話を始めた。 評価=☆☆☆☆ (5つ星が最高点です) 税別で184円。まず値段に驚きました。Amazonで見て購入し、届いたものを見て、また驚きました。 36ページの薄い本。これは集団読書テキストというもので、要は学校の授業で読んで、その内容についてクラスのみんなで話し合いましょう、ということのようです。 31歳の大沢さんは中学生のとき青木という男に出会いました。青木は頭がよくて人気者ですが、性格に裏表があります。そのことを見抜いたのは大沢さんだけでした。 ある日、大沢さんは青木の卑劣な行為を知り、誰もいないところに青木を呼び出し、殴ってしまいます。以来、二人は学校で目を合わせなくなりました。これで二人の関係は無になったかと思われましたが、青木はひそかに恨みを抱きつづけ、あるとき大沢さんに復讐を遂げました。 この経験が、その後の大沢さんの人生に暗い影を落とします。 大沢さんと青木は「生涯の天敵」どうしなのでしょう。これは辛いです。 想像するに、ただ二人でいるだけで息苦しいし、ちょっとした言葉が心に刺さるし、逆に自分の言葉も相手の心を刺すのだろうし。 ものの考えかた感じかたが一から十まで合わない。だから普通の精神状態で話してもイライラしてくるでしょうね。近づかないほうがお互いのためです。 でも青木から近づいてきちゃったから、大沢さんもどうしようもない。あるいは大沢さん自身が青木を呼びよせちゃった部分もあるのかもしれないし。 いずれにせよ二人の出会いは不幸な事故だと思います。 さらに大沢さんを苦しめたのは、周囲の人間がみな青木サイドに立ってしまったことでした。 大沢さんは青木を「浅薄(あさはか)にすぎる」と批判し、周囲の人間が無批判に青木の話を信じて集団で行動することを「本当に怖いと思う」と語ります。 こういう本を学校で読んで、「いじめを見て見ぬふりをしてはいけない」というふうに話をもっていくのでしょうか。 でも青木みたいな頭のいい男の「裏」を見抜くなんてのも難しいでしょうしねえ……。 かりに見抜いたとしても、今度は自分がいじめのターゲットにされるかもしれないという不安で、やっぱり見て見ぬふりを続けてしまうのかもしれないし……。 なんだか底なしの泥沼みたいで怖ろしいですね。 そういう事態が現実の学校にあるのかと思うと、なおいっそう怖ろしいです。 
まだ村上春樹がノーベル文学賞の「ノ」の字も言われなかった34歳のときのエッセイ集。 これを買ったころの私も若かった。面白くて、何回も読んだから、もう今では本がボロボロである。 【村上朝日堂】、【村上朝日堂の逆襲】、【村上朝日堂ハイホー!】、【村上朝日堂はいかにして鍛えられたか】、【村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた】……など、一時はずいぶん買い揃えたが、いま手元に残っているのはボロボロの【村上朝日堂】ただ1冊。  村上春樹の小説は正直なところ難解で、私の手に余るが、私は何となく感覚的に「いいかも」と思えれば満足してしまう。小説の解釈についてはその道の専門家にお任せしたいし、村上春樹論みたいなものを私自身が読みたいとは思わない。 そんな私だから、本当に村上春樹がノーベル文学賞を受賞するかどうかは全然わからない。 でも【村上朝日堂】を読むと、村上さんは電車の切符をなくしたり、厚揚げと切り干し大根で夕食のおかずを作ったり、猫を可愛がったりと実に「普通の人」である。親近感がある。 まるで昔からの知り合いがノーベル賞の候補と言われているかのような錯覚をおぼえる。本当に村上さんが受賞ということになったら、私も嬉しい。 で、実際のところノーベル賞の行方はどう予想されているか。競馬ふうに言えば、「大本命」は別の人らしくて、村上春樹は「穴」なのだな。 ただ、昨年のノーベル文学賞受賞者も、事前の予想では本命視されていなかった人らしい。予想は予想にすぎない。あまり当てにはならない。 また、ノーベル文学賞は他のノーベル賞とは違って「地域持ち回り」が慣例で、今年はアジアか南米から選ばれる年なのだという話もあるそうだ。 結局、発表されるまではわからん、ということだろうか。 ノーベル賞の結果は別として、いま私の中では村上春樹ブームが起こっちゃっており、一連の「村上朝日堂もの」を改めて買い揃え、読み直そうかなと思っている。 村上朝日堂 / 村上 春樹、安西 水丸 他

村上春樹がノーベル文学賞の候補に挙がっているらしい――と、しばらく前から言われている。 最近は「ノーベル文学賞の 有力候補らしい」という話も聞こえてきて、とりあえず村上春樹作品は意識的に読んでおいたほうがいいかも……と思い、文庫化された【アフターダーク】を買ってきた。 本の帯に「村上春樹の本 好評発売中!」とあり、講談社文庫から出ているハルキ本のタイトルがずらりと並べられている。これはノーベル賞受賞を予測した動きなのだろうか。 そういう世間の動きはともかく、私の個人的な感想を一言。 やっぱり村上春樹の本はわかんない……。 読みやすいことは読みやすいね。日曜の昼ごろから読み始めて、2時ぐらいには読み終わったから。 「浅井マリ」という女の子が、真夜中のファミリーレストランで本を読んでいて、そこでたまたま出会った男の子と話を始める。 いっぽう、マリちゃんの姉の「浅井エリ」という子が寝室で眠っている。 まるで寝室に置いてあるビデオカメラがエリちゃんの寝姿を延々と撮りつづけているかのような感じ。 ≪私たちはひとつの視点となって、彼女の姿を見ている。あるいは窃視しているというべきかもしれない。視点は宙に浮かんだカメラとなって、部屋の中を自在に移動することができる。今のところ、カメラはベッドの真上に位置し、彼女の寝顔をとらえている。≫ と村上春樹は書いている。 このあとエリちゃんの部屋のテレビが、電源を切ってあるにも関わらず急に作動しはじめる。 なんだかちょっとホラーだけど(読んでみるとホラーと呼ぶほど怖くはないが)、村上春樹は「真夜中のテレビネタ」って好きだよね。 【TVピープル】だっけ。むかし読んだ記憶があるけど。 たしかに夜のテレビって怖い気もする。 なにか番組が映っているときは平気だけど、夕食時にテレビなしではいられない。とにかく家に帰ったら、まずテレビつける。とくに見たい番組がなくても、とりあえずスイッチ入れる。 だって黒くてデカい箱がさ、茶の間にドーンとあるんだよ。存在感ありすぎ。 夜、寝るときは「おやすみタイマー」をセットして、私が眠りに落ちてもテレビくんの電源が自動的に切れるようにしておく。なんかね、適度に音がないと眠れないんですわ、私。 それはそうと、村上春樹は「テレビ」と「眠り」を絡ませた話が好きみたいだね。 姉のエリちゃんが不気味なテレビの横で眠っている間に、妹のマリちゃんは夜中の街でいろいろな人に出会って、いろいろな話をする。 エリちゃんサイドの話と、マリちゃんサイドの話が交互に語られていき、「白川」という男が2人の話を結びつけるわけです。 ……と、まぁ読んで筋を追っていくことはできるけど、それが何を意味するのかはよくわからない。そもそも「意味」を追求するべき作品ではないのかなぁ、とも思う。 それでも最後まで読んでいくと、マリちゃんの精神状態が少し変化して、良いほうに向かっているみたいだな――とは感じられる。 あくまでも村上春樹の筆は「カメラ」であって、マリちゃんの心に寄り添ったきめ細かい心理描写は全然ない。 だけど小説として何かが「欠けている」とは思わない。これはこれで成立している気がする。 よくわからない世界だけど、わからないなりに読まされてしまう。 緻密に作り上げられたミステリー小説が大好きな人には無理にお勧めしない。 小説の世界にボーっと身を浸して楽しめる人は、気が向いたら読んでみてください。
あなたは二十歳の誕生日に自分が何をしていたか覚えていますか? ――と、本書で村上春樹さんは読者に問いかけている。 私は覚えてないなぁ。二十歳のときは大学生だった。彼氏と2人で食事をしに行ったかも…… いや、違う。私の誕生日は、ちょうど大学祭のシーズンに当たる。彼氏も私も大学祭でバタバタしていて、誕生日のお祝いは後まわしだったはず。 でも私は子供のころから誕生日を盛大に祝ってもらったことがないので、ロウソクを立てたバースデーケーキなんか出されても……どういう顔をしていいかわからない。むしろ、さらりと「おめでとー」と言われて、さりげなくプレゼントをもらうとかさ、そんな感じでいい。 とくに最近は誕生日が嬉しくない年齢になってしまった。 「私は誕生日制度を廃止したの。でもバースデープレゼント制度はあるから。年がら年中、24時間、朝から晩まで、いつでもプレゼントは受けつけてまーす」と、バカなことを口走っている。 (あくまでもプレゼントはもらいたい、クレクレ怪獣の私) 【バースデイ・ストーリーズ】には、誕生日をめぐる13の短篇小説が収録されている。 13編の内訳は、「村上春樹が選んで訳した12編」と「村上春樹が書いた短篇小説1つ」。 しかも13編のひとつひとつに村上春樹の解説がついている。 村上春樹の筋金入りファンには必読の書(と私が申し上げる前に、ファンの皆様はお読みになっていらっしゃることと思います)。 それ以外の人には、あまり強くお勧めしない。「誕生日をめぐる物語」と聞いて、なにか甘いロマンスめいた小説を想像しちゃってはいけない。 けっこう暗いし、ごつごつした感触がある。 私は昔から誕生日に甘い期待を抱いたことがないので、むしろ楽しめる作品かも……と思って買ってみたが、正直なところ、それほどでもなかった。 「彼」や「彼女」といった人称代名詞が誰を指しているのか、わかりにくくて、何度も同じところを読み返したりした。 もちろん「恋人」という意味の「カレシ」「カノジョ」とは違うからね。 まったく、いつから「カレシ」「カノジョ」なんて言うようになったんだろ。 私も上のほうで「彼氏」と書いてますが。でも「恋人」と書くのも何だか照れるし。 しょうがないなぁ。だれかが他の言い方を発明してくれて、それが世間に認知されるまでは、「彼氏」「彼女」と書くしかないね。
村上春樹作品の感想を書くのって、難しいとお思いになりませんか? そんなこと言ってるのは私だけだろうか。でも本当に難しい。このブログでも村上春樹作品については書いているけれど、自分で読み返してみて、「ああ感想が書けないから逃げてるなぁ」と思う。 嫌いではない。村上さんの昔の短編集とか、『海辺のカフカ』などはけっこう好き。 ただ、よくわかんない、という感じはある。1回読んで意味をわかろうとする私が愚かなのか。この本も100回ぐらい繰り返して読めば、意味がわかるかもしれない。 が、ほかにも読みたい本はたくさんある。私は一冊の本を読んでいる最中でも他の本に目うつりするタチだから、「読書百遍義自(おのずか)ら見(あらわ)る」(どんなに難しい書でも何度もくりかえして読めば、意味が自然に明らかになる――広辞苑)という三国志の中の言葉を、身をもって実証することはできずにいる。 意味がわかんないけど、逃げでも何でもいいから好きなように書こおーっと。そんな感じで、ひらきなおって今日もブログ記事を書いちゃっている。 【神の子どもたちはみな踊る】は、『海辺のカフカ』みたいな長編ではなくて、連作集である。 「かえるくん」と「みみずくん」の決闘の話とか、いろいろ書いてある。 ちなみに「かえるさん」と呼ぶと、「かえる『くん』です」と訂正される。それ、よくわかんないよ、かえるちゃん。 私がいちばん共感をおぼえたのは、更年期にさしかかった女医の話。 まぁ私も、ピッチピチの若い娘っこ時代はとっくに過ぎている。まだ更年期ではないものの、あと何年先かなぁ、とは漠然と思うわけです。 で、その女医はアメリカで研究をつづけていたけれど、離婚を経験して、アメリカにいるのがイヤになり、日本に帰ってきた。 息抜きのため、休暇をとってバンコックのホテルに滞在している最中に、不思議な出会いがあって、女医は心の中に憎しみをためこんでいることを指摘される。 ――あなたの中の「石」を捨てなさい。そうしないと死んで焼かれた後に、「石」だけが残ってしまいます。 ――これからあなたはゆるやかに死に向かう準備をしなければなりません。 この女医にかぎらず、人間だれしも長く生きていれば、憎しみや恨みや後悔といった負の感情が多少なりともある。もちろん私自身も、いろいろなものを抱えて生きているわけで。 負の感情をパワーに変えてガシガシ生きるのも、それはそれでいいけど、ある程度の年齢になったら、「石」を捨てちゃって穏やかに生き、穏やかに最期の日を迎えるべきかもね、なんて、これまた漠然と思う私であった。 自分が死ぬ時のことなんてどうでもいいじゃん、という意見もあるだろうけど、そういう貴方はお若いかたでしょうね、きっと。若いときはそんなこと考えなくていい。だんだん年齢を重ねていけば、わかることもあるのだし。 でも心の中の石って、どうやって捨てればいいんだろうなぁ……と私は新たな疑問を持つのだが、その答えは小説には書いていない。それもまた年齢を重ねれば自然とわかることだろうか。 若くもなく、かといって年寄りでもなく、心に石を抱えたまま中途半端な年代をクラゲのごとくフラフラと漂う私である。
村上春樹【パン屋再襲撃】を読んだとき、「そういえば、パン屋を襲う話って前に読んだことがあるなぁ」と思った。 私は変なところで記憶力がいい。自宅の書棚から、迷わず引っ張り出したのがこの本だ。 調子に乗って記憶力の自慢話をしてしまおう。 だいぶ前に発売された吉川晃司の写真集に、吉川晃司が本を読んでいる写真がある。本のタイトルは写真では見えない。何ページかわからないが、わりと鮮明に文面が写っている。 それから数年おいて、ある本を読んでいたとき、その中の1ページを見て「あっ!」と叫んだ。 吉川晃司が、写真集の中で開いていた本は、まさに私が読んでいた本と同じだったのである。 しかし、この程度の記憶力で、とくに何か得をした、という経験はない。 ……【夢で会いましょう】の話に戻る。 これは、「アイゼンハワー」とか「インタヴュー」とか「ウエスト・コースト」とか「エチケット」とか「オイル・サーディン」といったカタカナ語を五十音順に並べ、それぞれの語に村上春樹と糸井重里が短編小説のようなエッセイのような短い文章をくっつけました、という変わった本である。 変わっているけれども、どれもカッコいい文章だ。すごく気に入っている本である。 あまりに気に入ったので、昔の彼氏に「これ、面白いよ」と貸した。貸したのはいいが、そのあとに別れた。私は私で、彼氏からジャンパーを借りたままになっていた。やむなく宅配便で送ったが、彼氏のほうは多忙だったらしく、私に本を返すのをすっかり忘れていたようだ。 失恋の痛みと、お気に入りの本を失った悲しみに打ちひしがれた私であったが、ある日「あんな男のことはもう忘れた! 本も買いなおす!」と決意した。 あれから時が流れ、「アマゾン」で【夢で会いましょう】を検索してみたら、価格が50円も上がっていて、びっくりした。 でも、今でも売れているというのは、ちょっと嬉しい。 自宅の書棚にひっそりとたたずんていた【夢で会いましょう】を、【パン屋再襲撃】に刺激されて再読してみた。やっぱり面白かった。 愚かな私は「こういうの書きたいな」「書けないかな」「書こうかな」というふうに妄想列車を暴走させてしまう。 【パン屋再襲撃】を読んだときも妄想列車は動いたが、それを超える暴走ぶりである。 バカと妄想列車につける薬はない。
私がまだ知らない、若い作家について調べるため、「アマゾン」で検索し、カスタマーレビューをのぞくと、ときどき「村上春樹的な要素がある」とか「村上春樹ふう」といった意味の表現が見られる。 それは、多くの場合、ほめ言葉ではないようだ。「村上春樹の真似をしているだけで、自分の作風が確立されてない」とか、「村上春樹の影響が悪いほうに出ている」とか、「村上春樹かぶれ」とか、そんな思いがこもっているように感じられる。 私は大学時代、あまり本を読まなかったのだが、村上春樹の本はときどき読んでいた。 もっと昔の話をすると、中学時代は本気で作家になりたかった。本もけっこう読んだし、ノートにいろいろ書いたりもした。(いま思えば恥ずかしい) 文学少女が、不真面目な大学生になり果てたわけだ。 それでも村上春樹の短編小説を読むと、「これだったら私にも書けそう」「ちょっと書いてみようかな」「書いてみたいな」という気持ちになったのだ。なんという傲慢な若い時代であろうか。 こんな私でもそういう気持ちになるのだから、もっと意識的に作家をめざす若者たちは、大いに村上春樹の本を読み、良くも悪くも大いに影響を受けたに違いない。 あれから年月が流れ、いまや村上春樹はノーベル文学賞に最も近いといわれる大物作家だ。 そうとわかっていながら、学生時代に読んだ村上春樹の短編集を、いま買いなおして読んでみると、「こういうの、書いてみようかな」という気持ちが、またしても蘇る。 蘇るけれども、村上春樹の真似はなかなかできないだろうな、という気もする。 村上春樹の短編ですごいと思うのは、登場人物の行動の理由とか動機、事件の原因といったものを書かずに、小説として成立してしまうところだ。 とくに、この本に収録されている「象の消滅」という短編はすごい。ネタバレは嫌いだから詳しくは書かないが、とにかく小説の中で事件が起こり、登場人物が経過を追う。そして、ブチっとちぎれるように小説が終わってしまう。 「あれ?」と思うが、「これはこれでいいんだな」という気もする。不思議。 いま世間で人気の高い東野圭吾や角田光代などの小説では、出来事の経過を追いつつ、登場人物の心理的な状況を表現しようとする。もちろん、それはそれで面白い。感情移入して読める。 村上春樹の小説は感情移入しにくいけれど、なんとなくムラカミハルキ的な空気感が漂う。それに発想がものすごく自由だ。『海辺のカフカ』では、空から魚が降ったりするもんね。 日本の多くの小説は、村上春樹の作風とは違っている。 そのせいかどうか知らないが、村上春樹が直木賞とか芥川賞をとったなんて話は聞かない。審査委員の先生方は、ムラカミハルキ的な世界があまりお好きではないのかもしれない。 それでも村上春樹は一足飛びでノーベル文学賞に近づいている。 私が村上春樹の真似をして小説を書いても、読み手に「これは村上春樹の真似だ」と認識させることさえ難しいかもしれない。 村上春樹【パン屋再襲撃】 文春文庫 450円

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