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まっすぐで、美しくて、正しい小説。 あまりに「まっすぐ」すぎる印象もなくはない。やさぐれ刑事キャラが、途中から全面的に正義の化身キャラに切り替わってしまうあたりも、いかがなものか。途中から正義の化身になるくらいだったら、最初から正義感いっぱいの人気キャラ「加賀刑事」あたりにご登場ねがうべきではなかったか。 しかし読後に苦味を残さないのは良い。 それはやっぱり登場人物のほとんどが「まっすぐ」で、やさぐれているように見えて胸の奥に良心を残しており、人として正しい行動をとってくれるからだろう。 舞台は病院。研修医の氷室夕紀は手術つづきで多忙な日々を送る。しかし医療の道を選んだことに後悔はない。夕紀には子供のころから心に決めていた目的があるからだ。 一方、電子機器メーカーに勤める直井譲治も、ある目的を心に秘め、夕紀と同じ病院に勤務する看護師と交際している。 二人がそれぞれの目的にむかって、まっすぐに脇目もふらず歩く道。出発点こそ別々だが、行き着くところは同じ。西園医師が執刀する動脈瘤の手術。二人のすべてがこの一点にかかっている。 私も(動脈瘤ではないが)ちょっとした手術を受けたことがある。 手術の時間が近づくと、衣服を下着まで脱ぎ、ストレッチャーに横たわり、看護師に毛布をかけてもらう。そのまま手術室へ運ばれる。(このへんの手順は病院によって違うと思う) その病院では手術室への入り口が、外来患者や見舞客の目にふれる場所にある。人々が「これから手術なんだね……」と言いたげに、ストレッチャーの私を見た。 私はドラマの主人公になった気分だが、毛布の下は裸体だ。あまり他人の目にさらされたくない。かといって逃げることもできない。 執刀医は若い女医であった。私に「大丈夫ね?」と声をかける。なにが「大丈夫」なのか不明だが、要は患者を落ちつかせるために何かポジティブな言葉をかける、ということだろう。 私は「はい」と応えた。 若い女医だが、きびきびして有能そうな姿を手術前から見ていたし、執刀するくらいだから立派な医師だろう。それに私は「まな板の鯉」だ。ここまで来たら大丈夫も何もありゃしない。医師にすべてを委ねるだけだ。 手術台に移され、手術衣を着させられ、麻酔を打たれた私は、手術室の隅に置かれたスチール棚をじっと見ていた。 いつになったら麻酔が効いてくるのかな。そろそろかな。まだぜんぜん普通なんだけどな……………………………………………… 次に気がついたら私は病室のベッドにいて、周りに家族がいて、看護師が私の名前を盛んに呼んでいた。(いつまでも麻酔から覚めない状態は危険なので、手術が終わったら頃合いをみて、いったん患者の目をさまさせるのである) 「さあ、もう手術は終わったのよー。起きてー。起きてくださーい」 ……え? 終わったんだ。手術を受けたという意識はまったくない。夢も見なかった。ふつうの眠りと麻酔による眠りは、まったく別種のものらしい。 麻酔を打たれた私は本当に無防備であった。生まれたばかりの赤ん坊だって何か不具合があれば泣き叫ぶが、それさえ麻酔の効いた状態では不可能だ。 麻酔による眠りの闇の外で、どんなミスがあっても、どんな悪事がおこなわれても、どんな天変地異があっても、私には何もできない。 いま私が何の不都合もなく暮らしていられるのは、あの手術の日に天災も人災も起こらず、医師や看護師がそれぞれの使命を全うしてくれたおかげである。 やはり医師や看護師は、まっすぐすぎるほど「まっすぐ」でいてもらわなくては困る。
山田孝之、玉山鉄二、沢尻エリカの出演で映画化された作品。 山田孝之はTBSが東野圭吾の 【白夜行】をドラマ化したときも出演しており、めっきり東野圭吾づいている。本書を読みながら「なんか【白夜行】っぽい」と感じたのは、そのせいかもしれない。 映画は見ていないので配役をよく知らないが、本書の帯に印刷された写真から察するに、主人公の「武島直貴」を山田孝之が、その兄の「剛志」を玉山鉄二が演じるようだ。 武島剛志と直貴の両親は他界し、剛志が働いて生活を支えてきたが、身体をこわして働けなくなり、経済的に苦しい。それでも弟の直貴を大学へ行かせたい。ならば学費をどうするか――剛志が出した答えは強盗であった。 これが筆記試験の答案なら赤ペンで大きな×印をつけるところだが、人間が頭の中だけで思うことは、誰にも、どうしようもできない。直貴自身は大学にこだわっていないが、剛志のほうが「どうしても直貴を大学に」と考える。生前の母親は父親の学歴のなさを嘆き、その影響を剛志は強く受けてしまった。 どうしても大学に行きたければ、直貴が自分でお金を得てから進学するとか、働きながら夜間部に通うとか、通信制の大学で勉強するとか、いろいろ道はあっただろうに、剛志は発想の転換ができないまま凶行に及ぶ。 ミステリーの要素はなし。事件の犯人も動機もわかっている。犯人が逮捕されて裁かれて、その後にどんなことが起こるかというところに焦点がある。ストーリー展開はわりあい簡単に予想できるけど、予想できるからこそ悲しさが増す。 強盗殺人犯となった剛志は服役。直貴はアルバイトでつないで高校を卒業し、就職したが、身内に犯罪者がいることが何かにつけて障りになる。 直貴がボーカルとして加わったバンドに、あるとき大手レーベルが目をつけた。プロへの道がひらけたのはいいが、直貴の身上が問題にされる。 恋した女性は良家のお嬢様だった。その両親が直貴の兄のことを知ったら、恋の行く末が明るいとは思えない。かといって兄のことを隠すのも賢明な策とは思えない。そういう厄介ごとが自分の恋愛にはつきものだと、直貴自身もわかっている。わかっていても恋に落ちてしまう。辛い。 服役中の剛志からは1か月に1回、手紙が届く。 剛志は学のない男で、手紙といっても最初のうちは、ひらがなが多く、日々の出来事をただ書き並べたものにすぎなかった。しかし刑務所で辞書をひくことをおぼえ、漢字をまじえた抽象的な内容の手紙を書くようになる。 ダニエル・キイスの名作【アルジャーノンに花束を】を思い出すなぁ。主人公の知性の変化とともに、手紙の内容が劇的に変わっていくのです。 そんな兄の変化はともかく、直貴は苦境にある。兄のせいでこんなことに……と恨み言のひとつも言いたくなる。 自暴自棄になりそうな直貴を支えるのは、勤め先で出会った白石由実子という女性。(映画では沢尻エリカが演じるものと思われる。沢尻エリカファンの皆様、お待たせいたしました) 三人は木の葉が大河に流されるかのように、くっついたり離れたりしながら運命の濁流にのみこまれてゆく。 直貴が犯罪者の家族として他の人間から隔てられることの苦しさはよくわかる。でも、直貴に対して距離を置こうとする人々の考えを真っ向から否定することもできない。 個人と個人のつきあいならともかく、たとえば企業の人事担当者だったら、あるいは妙齢の娘を持つ親の立場だったら、直貴のような人間を歓迎できるか。 被害者の遺族は、剛志や直貴に対してどんな気持ちを持つか。 本の帯には「涙の大ベストセラー」と書いてあるが、いろいろ考えこんでしまうと、なかなか涙も出てこない。
なかば怒りながら読んでいた。(でも最後のほうはほんの少し泣いた) 全270ページ、陰陰滅滅、重苦しいマイナスの磁場がはたらいている。老人介護の問題とか、ひきこもりとか、そういう話はわざわざ小説に書いてもらわなくても、私たちはテレビや新聞で嫌というほど見聞きしている。この生きにくい世の中で生きていかなければならない私たちの気持ちを、ますます沈ませるつもりか、この小説は!? 大まかな話の流れは、直木賞受賞作の【容疑者Xの献身】に似ている。 殺人事件が起こる。その犯人をかばうために、別の人間が隠蔽工作をはかる。「なぜ犯人をかばう必要があったのか」が肝だ。それは純愛のためなんですよ――と出版社は【容疑者Xの献身】を宣伝したが、私は純愛だとは思わない。 孤独感、理想と現実とのギャップなど、もろもろの暗い思いに打ちひしがれた男が、たまたま目にした女の笑顔に希望の光を見た。その女に不幸が降りかかると知るや、男は通常の判断力を失う。Xという男が「容疑者X」になる前にすべきことはあったのに、それらを全て捨て去って犯罪行為に走るのだ。 言ってしまえば容疑者Xの狂気である。男は静かに狂っている。男の頭の中では知性というターボエンジンがギュンギュン回って、精緻で冷酷なトリックを編み出すけれど、エンジンの燃料は純愛じゃなくて狂気だ。 【容疑者Xの献身】も暗い話だし、男は法の裁きを受けて当然だが、そもそもの事の発端をたどれば男の哀しみがじわじわ伝わってくる。事件の解決には「湯川」という物理学者が貢献するが、このキャラクターがなかなかいい。ほっと息を抜ける。 いっぽう、【赤い指】に湯川は登場しない。湯川と同じく東野圭吾作品の人気キャラクター「加賀刑事」が登場する。 犯人の動機には同情できる余地が少しもない。犯人の家族が「家族だから、こいつを守ろう」という理由だけで隠蔽工作に走る。その方法は「人としてこんな行為が許されていいのか」と言いたくなるような醜悪さを帯びている。 トリックはだいたい予想がつく。というか、ほとんどトリックになってない。 醜悪で救いのない事件に、加賀刑事の家族の問題を絡めてストーリーが展開する。 さらさらとした文章は読みやすいが、結末が痛々しい。加賀刑事のカッコよさでかろうじてオチをつけた感がある。 東野圭吾ファンや加賀刑事ファンの人が、「加賀刑事トリビア」として読むには興味深い小説だと思う。 それ以外の人には特に勧めたくない。 【容疑者Xの献身】の二番煎じみたいな小説は、これっきりにしてほしい。もう東野圭吾の「直木賞まつり」は終わって、いまは森絵都&三浦しをんの「直木賞まつり」の最中である。 東野圭吾には「容疑者Xの献身? そんなもん知らねーよ」とか偉そうに言っちゃって、新・直木賞作家を空の高みから見おろすような、この閉塞感にあふれた世の中をざっくり切り開くような快作を書いてもらいたい。
東野圭吾の 二大悪女小説といえば、【白夜行】と【幻夜】である。 【白夜行】に登場する女の「悪女」ぶりは、同じ女の私には読んでいて身の毛がよだつものだが、悪女の心の奥の奥に、ほんのちょっぴり可愛らしさがありそうな気もする。 悪女が悪女になった理由もある。愚かな大人たちに傷つけられた少女時代の記憶が、悪女の出発点であり(悪女の「芽」はもっと前からあったのかもしれないが)、それは同情できないこともない。 そして「この男だけは、本当の私をわかってくれる。この男だったら私が何を言っても、何をしても許してくれる」と思っているようなふしがある。 そんな男に甘えているのか、自分の欲望を満たすために男を利用しているのか、悪女自身がよくわかっていないのかもしれない。自覚症状の薄い悪女、と言えるかもしれない。 ――といったことを私は【白夜行】を読みながら想像する。 私の想像とは別のご意見もあるだろうが、とにかく悪女の情緒面に、いろいろと想像の余地があるのが、この【白夜行】という小説だ。 東野圭吾【白夜行】
 いっぽう【幻夜】では、悪女が悪女になった理由など、ほとんど語られない。想像の余地さえない。 おぎゃあ、と産声をあげた瞬間から悪女だったのではないか……とさえ思ってしまう。 【白夜行】よりも いちだんと悪女レベルが高いのである。 女はアーモンド形の瞳を艶かしく輝かせる。昼は貞淑かつ手際よく家事や仕事にいそしみ、夜は夫でない男と密会してベッドで娼婦に変身する。夫も、それ以外の男たちも、すべて自分の手駒だ。 男たちは、こんな女に関わってはいけないと思いつつ、つい引き寄せられてしまう。そういう男たちのスケベ心の前では、悪女が悪女になった理由など意味を持たない。 なにせ【幻夜】は『週刊プレイボーイ』の連載小説だったのだ。幼児期のトラウマがどうのこうので男性不信に陥って私は悪女になりました……なんて書くよりも、 悪女の魅力を、ふんだんに語る小説のほうが、『プレイボーイ』の読者を喜ばせるだろう。 すべての男は悪女が大好きだ。(ちがいますか?) 結婚相手には、朝に味噌汁を作ってくれる家庭的な女を選ぶとしても。 淫乱な一夜を楽しんで朝になる前に姿を消し、誰かの妻の座におさまることなど露ほども考えない女。 別れ話を切り出しても、「あの女なら、オレと別れてもすぐに他の男をつくるだろうな」と思える強い女。 なにかトラブルがあっても、すかさず解決できる悪知恵のはたらく女。 花火のように燃えて散る関係ならば、こういう女は最高だろう。 ただし、こういう女を「オレが何とかしてやろう」などと思うと、痛い目にあう。ヘタをすると命さえ危うい。 でも、「命を捨てることになっても構わないから、オレはあの女を守る」なんてことを考えてしまう男もいるのかもしれない。 【白夜行】でも、【幻夜】でも、そんな男の哀しい姿がある。 東野圭吾【幻夜】 集英社 1890円

この本を映像化するとしたら、やっぱりテレビ朝日の金曜深夜のドラマがいいかな。お子様には見せたくない場面が多いもんね。 映画って感じではないな。 連続ドラマのテンポが合いそう。 怜悧で美しい悪女役に妄想キャスティングしたのは、麻生久美子。  メイクは濃い目に、妖艶な感じでお願いします。 東野圭吾【幻夜】 集英社 1890円

私は本好きだけど、真性の「ミステリー愛読者」ではない。どちらかというと「文学少女のなれの果て」だ。 ミステリー小説も本の一種ではあるから、読むことは読むが、トリックを解くこと自体にはあんまり興味がない。 たぶん私は頭が悪いんだと思う(笑)けど、こみいったトリックの種明かしの部分は、目が文字を追いたがらない。かなりテキトーに読み流している。だいたい、現実の犯罪者がミステリー小説みたいに凝ったトリックを用意しているとも思えない。 「文学少女のなれの果て」の私としては、トリックがどうのこうのというよりは、小説に登場する人間たちの感情の動きを感じとりながら、笑ったり泣いたり怒ったりしてみたい。 そんな私が東野圭吾の小説を読んで「すごいなぁ」と思うのは、いかにもミステリー的な、凝りに凝りまくったトリックを駆使した事件を描きながら、その裏にある 生々しく毒々しい人間の感情を浮き彫りにするところ。 でも「犯人はこれこれこういう感情を抱いた」などと言葉で説明しちゃうのは不粋だ。 ここに一枚の風景画があるとする。東野圭吾という人は、この風景を平易な文章で淡々と描く。 しかしその風景画はよく見るとジグソーパズルで、しかもピースがあちこち欠けている。 たとえば、こんな風景。 ≪ある作家の自宅に、幼なじみの男が訪ねていく。作家はちょっと出かけて、まだ戻っていないようだ。男は庭木を眺める。花をひらきはじめた八重桜。そこへ作家が戻ってくる。紺色のサーブが駐車場に滑りこみ、助手席にすわっている作家の妻が、男に会釈する……≫ だいたいこんな感じだが、幼なじみが何のために作家宅を訪れたかは、よくわからない。作家は幼なじみの男に対してどんな感情を持っているのかも、よくわからない。 不明な点は不明なままに、物語は進む。 さらに読みすすめると、パズルの欠けたピースは一つ一つはめこまれていくが、最後の最後まで欠けたままの部分がある。 欠けてはいるが、周囲の状況から察することはできる。 そこで察せられるものは、人間の心の奥底にある おそろしく深い感情の淵だったりする。 どうしてこういう込み入った書き方をするかというと、たぶん、どういう感情か一言で説明できないからだ。 まぁ一言で説明できたら小説を書く必要もないだろうし。 世間では、 東野圭吾【容疑者Xの献身】
 を「純愛小説」と言ってるみたいだけど、あれは愛なんて美しいもんじゃない、と私は思う。 容疑者Xの行動は「献身」のように見えて、ものすごく自己中心的。 自己中心的だけれども、容疑者Xの深い悲しみが伝わってくる。 正しい行動とは決して言えないし、法的に罰せられて当然だけど、単純に非難する気にはなれない。 東野圭吾【白夜行】
 も、ドラマ化されて「純愛もの」的な扱いをされたみたいだけど、そんな単純な話だとはとても思えない。 心の傷をなめ合い、互いを利用し合う男女。そこに愛なんかありゃしない。最終的には女の野心が……あんまり書くとネタバレになるからやめよう。とにかくあの女、かなり性格わるい。 だけど、その親どもが輪をかけて悪い。人格が歪んでる。 そんなに性格の悪い女が、たとえば自分の子供をもったら、その子供はどうなるんだろう……なんて想像をすると背すじが寒くなる。 でも、言葉で「これは愛ではないのだ」とか「背すじが寒い」とか「深い悲しみ」とか書いてあるわけではない。 このヘタレ読者の私に、そんなふうな想像をさせてしまうのだ。 直木賞作家は、やっぱり凄い。 東野圭吾【悪意】 講談社文庫 660円

800ページ以上の厚い本だが、読み出したらあっという間にエンディング。 正直なところ、「あ、これで終わり?」という呆気なさはある。 主人公の「雪穂」と「亮司」の感情や、いわく言いがたい二人の関係を、もう少し濃く描いてもいいんじゃないかなー、とも感じた。が、いわく言いがたいからこそ、あえて詳しく言葉にせず、読者に感じさせたり想像させたりする余地がありありの、さらっとした書き方でいいのかもしれない。 ドラマ『白夜行』でご存じのかたも多いかと思うが、この物語は、まず事件が起こるところから始まる。 建築途中で放置されたビルの中で、他殺と思われる死体が見つかった。それは質屋を経営していた桐原という男であった。 しかし事件の関係者が死亡して、警察の捜査は難航する。 桐原の息子の「亮司」と、事件の関係者の娘である「雪穂」は、二人とも事件の渦中で片親をなくす不幸に遭いながら、中学、高校と進学する。 事件は迷宮入りになり、雪穂は心やさしい親戚にひきとられ、美しい女性に成長した。 しかし雪穂の身辺は何かと騒がしい。美しいから男性の目をひくし、そのせいで女性に嫉妬されることもある。雪穂の友達が強姦未遂事件にあう。 騒ぎの陰に桐原亮司の姿がちらつく。亮司は、周囲には「地味なやつ」と思われているが、どこか刃物のような鋭さを秘めている。 雪穂と亮司が会話するシーンは、小説の中には一つもない。 (ドラマでは二人が直接からむ場面があったが、映像作品としては、そのほうがわかりやすいだろう) 二人の成長過程で起こる様々なエピソードを、ひとつひとつ重ねながら、「亮司ってこんなやつなんだ」とか「雪穂ってすごいこと考えてる」といったところを浮き彫りにしていく。 しかし亮司も雪穂も、ちょっと友達にはなりたくないタイプだ。 亮司はまだいくらか他人への思いやりがあるようだが、雪穂は……すごい女である。 雪穂も亮司も、実の親がロクでもない人たちなので、気の毒といえば気の毒ではある。 だからといって「子供の頃のトラウマが原因で」などと簡単に片づけていいのか? 親の人格や家庭環境のことは別として、人間は「思いやり」とか「優しさ」みたいなものを、心の片隅にでも、生まれつき持ってはいないのだろうか? 性善説・性悪説みたいなところまで考えが及んでしまいそうだ。私みたいな者が考えてもわからないけど。 こういう少年少女のことを、たとえば周りの大人が心配して心理カウンセラーなどに相談しても、あんまり効果がなさそうだ。雪穂も亮司も、よほどのことがなければ他人に心をひらくことはないだろう。二人とも頭がいいから、なにを質問されても適当に逃げてしまいそうだ。 そこまで二人の心を固く閉ざしてしまったのは、いったい誰のせいなのか。 だからといって、二人が他人を傷つけるような行動に走っていいのか。ちょっと立ち止まって思いなおすことはないのか。 人が腹を立てたり心を傷つけられたりするたびに事件を起こしていたら、社会生活は成立しないぞ。 でもなぁ……あの親どももバカすぎるんだよなぁ……。 考えが同じところをグルグルまわって、結論なんか出やしない。 まぁ私は何につけても「考えすぎ」の傾向がある。こんな私のことは構わずに、この小説の世界をどうか堪能してみていただきたい。 70年代、80年代に話題となったものがいろいろと描きこまれていて、そういう意味では楽しめる。「聖子ちゃんカット」とかね。これをリアルタイムで知ってる人の年代って、かなり限定されるだろう。 私は知ってますよ、はい。
表紙がいい。 黒地に深紅のバラ一輪。 シンプルで美しく、どこか哀しげな感じ。この小説の世界をうまく表現していると思う。 本の帯に「命がけの純愛が生んだ犯罪」とあるが、「純愛」なんて手あかがついた言葉を安易に使わないでほしいなぁ。帯の宣伝文句を考えるのは著者ではなく、たぶん出版社だと思うけど。 それに、主人公の「石神」という男の想いが、はたして「純愛」なのかどうかも私はわからない。 石神は花岡靖子という女性を好きになって、でも交際はしてなくて、ただ陰から見守っている。デートはしない。肉体関係もない。 そういうのを世間では「純愛」と呼ぶらしい。 でも石神にとっての花岡靖子は、純愛の対象というより、沈んでいた心にさしこんだ ひとすじの希望の光ではないだろうか。 その光が、ある日突然、ひとりの人間の手でさえぎられそうになる。石神は光を守るため、その手を払いのけようとする。 石神は「靖子を守りたい」というよりは、「自分のために希望の光を守りたい」のかもしれない。 そして事件が起こり、警察が動く。 結末は哀しい。 どう考えても石神の行動は正しくない。法的に裁かれて当然である。 が、その行動の奥にある気持ちが、すごく哀しい。 「湯川」という名の物理学者が、警察の捜査に大きく貢献する。 湯川は今までに何度か事件解決に協力した、という意味のことが書いてあるので、たぶん湯川が登場する小説は他にもあるんだろうな。(と思って調べたら、やっぱりあった) 哀しい小説の中で、湯川の存在がちょっと面白くて、ほっとする。 文章はさっぱりしている。読んでいて、ビジュアルが浮かびやすい。 映画にしたら良さそうだ。
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