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ミュージシャンの斉藤和義と、斉藤ファンを公言する作家の伊坂幸太郎が、二人の奇跡的な出会いを語りつくす。二人の年表や、創作活動の現場も公開。 双方のファンのための「楽しみ方事典」。 評価=☆☆☆ (5つ星が最高点です) 「双方のファンのための」とありますが、やはり本書をフルに楽しめるのは、斉藤和義ファンと伊坂幸太郎ファンを兼ねる人々であろうと思います。 私自身は専ら、「伊坂幸太郎の創作の現場が垣間見える」という点に興味を持ちました。 パソコンはどのメーカーのものを使っているか、構想を練るときにどんなふうにメモをとるか。それを知ったところで小説を書かない私には大して役立ちもしないのですが(笑)。 なぜか好きなんですよ。そういう瑣末な話が。 恐縮ながら斉藤さんというミュージシャンを詳しく存じ上げないので、私が本書を楽しんだ度合いとしては50%ぐらいですが、斉藤和義ファンを公言しておられる伊坂さんの、「ファンとしての在り方」には共感をおぼえました。 会社づとめと作家活動との両立で、いわゆる「二足のわらじ」を履いていた伊坂さんが、「専業の作家になろう」と決意したのは、斉藤和義さんの歌に背中を押されてのことだそうです。 歌は不特定多数の人々にむけて発信されるものですが、受け取る側にとっては非常に個人的な体験になり得ます。ふと耳にした歌の一節が、妙に自分の心に入り込んでくることがあるわけです。 吉川晃司ファン歴の長い私も、すごくヘコんだ精神状態のとき、ふと流れてきた吉川晃司の歌に「ああ、この人だけが私の味方なんじゃないかしら」などと得手勝手に思うことが何度かありました。 だから伊坂さんみたいな歌の聞き方は実感としてよくわかる。 ずいぶん大げさな物言いだとお思いになりますでしょうか(笑)。でもコアなファンとはそういうものですし、「良い歌」は多数決で決まるものではありません。 世の中には、「あなたにとって良い歌」、「私にとって良い歌」があるだけです。 
彼が仕事をするときは必ず雨が降る。仕事の合間にCDショップへ行き、試聴機で大好きな音楽を聴く。 対象者を一週間のあいだ調査し、その死に「可」か「見送り」かの判断をくだす。人間の世界については情報部からの通達で把握しているつもりだが、理解は不完全で、どこか受け答えがずれている。 そんな死神の「千葉」がクールに見つめる対象者たちの喜怒哀楽。 金城武の主演で映画化された、6篇から成る連作短編集。表題作の『死神の精度』は第57回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞。 評価=☆☆☆☆ (5つ星が最高点です) とぼけた味わいがあって面白いです。 死神に調査部や情報部といった部署があるのも可笑しいし、千葉が音楽のことを「ミュージック」と呼ぶのも可笑しい。 千葉はミュージックが大好きで、CDショップの試聴機を愛好していますが、作曲家や作詞家や歌手の名前は知らないし、知るつもりもない。ジャンルもどうでもいい。ポップスであろうとクラシックであろうと、ミュージックでありさえすれば何でも構わないみたいです。 私はCDショップの試聴機って落ち着かなくてダメですね。だって隣に知らない人が立っているでしょ。そういう私とは違い、周囲のことを気にせず音楽の世界に没頭できる人は、本当に音楽が大好きなんだろうと思います。 しかし千葉が目を輝かせるのはミュージック関係のみ。それ以外は全くクールです。人の死に対しても何の感慨もない。 人は誰でも必ず死を迎えます。死神が決定をくださなくても、死神の管轄外である自殺や病死で命が途絶える場合もある。いずれにしろ人生の残り時間はいつかゼロになります。それを考えず、過剰に怒りや悲しみや不快さをまきちらす愚かしい人間たちを、千葉は「上から目線」で見おろしています。 私もどちらかというと愚かしいほうに近い人間だけど、それでも「そんな人生でいいのか?」と首をかしげざるをえない変な人っていますね。 たとえば会社や家に怪しげなセールス電話がかかってくる。なんかもう電話を受けた瞬間から不審なオーラが漂いますよね。まるで「こちらは怪しい者です」とでも名のってるみたいな。そういう電話で購買意欲がわきますか? 私は全くわきません。 ときどき考えるんですよね。こういう電話をかけている人の人生って楽しいのかな、と。だって電話の効果はゼロですよ。それどころか電話の相手に怒鳴りつけられるかもしれないし、いきなり電話を切られるかもしれない。不快な気分になるだけです。あんな仕事のしかたでは充実感もなにもありゃしない。 ブログにスパムコメントをつけてくる輩も、一体どんな人生を送ってるんでしょうね。スパムコメントなんかすぐ消されちゃって何の効果もないのに、懲りずに何度も何度も送信してくる。 そんな無意味で無駄なことをしているうちに、人生の残り時間はどんどん減っていきますよ……。 まあ私も忙しいので、そういう輩に説教なんかしないけどね。 死神の千葉も、対象者に「もうすぐ死ぬんだから有意義に時間をすごせ」とは言わない。すーっと近づいてきて調査をし、すーっといなくなるだけ。ほとんどの対象者は死神の存在に気づきません。 でも私なんか「○月○日におまえの人生が終わる」と言われても何をどうしていいか分からないし、たぶん怖いだけだから、死神には気づかなくていいかな……。 
仙台の市街地で凱旋パレード中の金田首相が暗殺された。まもなく警察は容疑者を割り出し、マスコミを通じて公表した。 一介の市民にすぎない樋口晴子にとって遠い出来事だったはずの首相暗殺事件は、急激に個人的な事件へと変貌を遂げる。 容疑者の青柳雅春は、晴子がよく知っている男だったからだ。 評価=☆☆☆☆☆ (5つ星が最高点です) ようぎ‐しゃ【容疑者】 犯罪の容疑を持たれている人。被疑者。「―を連行する」 [株式会社岩波書店 広辞苑第五版] 知人が良からぬ事件に関わってニュースに登場するなんて、あまりお目にかかりたくない光景です。 実は私の古い知人がニュースにちらっと出たことがあります。顔は昔のままの純情無垢な面影を残しているのに、報じられた内容は手垢がベタベタにまみれたような、哀れとも言える話でした。 まさかあの人が、とは思ったけれど、あの人はそんなことをするような人じゃない、とは言えない。私の記憶にあるのは知人の昔の姿です。人は変われば変わるもの。そして人の心は弱いもの。受けとれば罪とわかっているお金にも、状況によっては手を出してしまうかもしれない―― 多少の同情はあるにせよ、私は「あの人が罪をおかした」と頭の中で九分九厘、決めてかかっていました。 自分の親族や、関係の深い人であれば、その人の無実を強く信じたい心もはたらくでしょう。しかし何年も連絡を取り合っていない古い知人となると、これは冤罪かもしれないとか、もしかしたら誤報かもしれないとか、あの人はそんな人じゃないというふうには、なかなか考えられない。 そもそも「容疑者」とは「犯罪の疑いがある人」という意味であり、有罪かどうかは起訴されてから裁判所で審判されることになります。 そう理屈ではわかっていても、ビジュアルの印象は強烈です。 本書の主人公である青柳雅春が首相暗殺の容疑者としてマスコミに登場するのを見て、大学時代に彼と交際していた樋口晴子は、にわかに信じられません。「あの人がそんなことをするようには思えない」という気持ちです。 しかし首相暗殺に使われたものと同型のラジコンヘリを、彼が店で購入する映像が公表された。 考えてみてください。ふだんの私たちならマスコミの在り方を批判し、報道の内容を疑ってかかることもできますが、いざ自分の知っている人間がこんな状況に陥ったとき、「あの人は犯罪者ではない」と断言できるでしょうか。 それに報道の内容を疑うことはできても、本当にその人が事件を起こしたのかどうかは確かめようがないんですね。電話して本人に尋ねましょうか。でも樋口晴子にとっては元カレです。もう電話番号が手元にない。 ところが当の青柳雅春はそんなラジコンヘリを買ったおぼえもなければ、首相に近づいたこともない。彼は何者かの策略で容疑者に仕立て上げられたことを察します。 その「何者か」は警察さえ支配する大きな存在です。青柳雅春には自分の無実を証明する方法がありません。 「何者か」は青柳の友人たちをも策略に巻きこみます。その一人である森田森吾(もりたしんご)は、「何者か」に弱みをにぎられて青柳雅春を裏切らざるを得ませんでした。そして目の端に涙を滲ませてこう言います。 「いいか、青柳、逃げろよ。無様な姿を晒してもいいから、とにかく逃げて、生きろ。人間、生きててなんぼだ」こうして青柳雅春の逃亡が始まります。 しかし仙台市内のあちこちに設置されたセキュリティポッドによって、携帯電話の通信はすべて記録され、通行する人や車の画像も保存されています。(念のため申し添えますが、現実の仙台市にこのような監視システムは存在しませんよ) 逃げる先々に警察が現れ、出会った人々がみな密告者に見える。逃亡は困難をきわめます。 しかしハラハラドキドキのサスペンスタッチというよりは、ひょうひょうとした伊坂さんらしい文体で物語が進みます。 そのくせ妙にリアルな怖さがあります。自分の利権を守るために手段を選ばない政治家。容疑者と名のつくものに食らいついて骨までしゃぶりつくすマスコミの姿勢。映像技術は進んでいるし、携帯電話の電波から電話の持ち主の現在位置がわかる。これらは現実にあり得る物事です。 個人情報の保護が叫ばれる一方、誰かの意志ひとつ、機械的な操作ひとつで、一人の人間が公衆の面前でさらし者になる危険性が現実にある。しかも、さらされる映像は真実でなくていい。「真実らしきもの」がテレビに出てしまえば、人を社会的に抹殺できるのです。 青柳雅春は絶望的な状況に陥りますが、樋口晴子は青柳雅春のちょっとした習慣から彼が無実であることを察し、巨大な存在に対抗する手段をさぐります。 では真犯人はどこにいるのか。青柳雅春は逃げて逃げて逃げまくって、その先に何があるのか。 結末を早く知りたいと思う一方、そこに至るまでのディテールがよくできていて、読み終えるのがもったいないとも感じる秀逸な一冊です。 映画化しても面白いと思います。 ちょっと頼りなげで男前の「青柳雅春」には、玉山鉄二を妄想キャスティングしてみました。  
伊坂幸太郎は仙台を舞台とする小説を多く発表しているが、中には仙台でないものもある。仕方ないけど結構さびしい。 本書は仙台を舞台とする短編4つを収録している。やっぱり伊坂の「仙台もの」は良い。なにせ私は宮城県人である。仙台が出てくるというだけで評価が2割は増す。宮城県にお住まいの皆様はぜひ読みましょう。ぜったい楽しいです。宮城弁で喋るばんつぁんも出でくってば。読んでみらいん。 ……失礼しました。つい地元の方言が。「ばんつぁん」とは「おばあちゃん」のことです。とにかく伊坂さんが宮城弁をマスターしつつあることが、私は嬉しい。 それに「地元仙台を本拠地とする球団」なんてのも出てくるよ。「例年は最下位争いに甘んじている地元球団」と書いてあるのは苦笑するしかないけれど。(今年はゴールデンルーキーも入団したことだし、頑張れよ、楽天イーグルス) 作品全体の雰囲気は、伊坂の初期の作品【チルドレン】に戻った感じ。けっこうシリアスな状況なのに、飄々としていて笑いがあって、かなり好きです。込み入ったトリックなんかなくていいもん。私は作品の「空気」を味わいたい。
「8年後、地球に小惑星が衝突する」というSF的な設定が私は怖くてダメで、世間の皆さんが「【終末のフール】、そんなに怖くないよ。すごく良いよ」と言っているにも関わらず、ずっと避けて通ってきた。 が、本書を図書館で見かけて、ふと手に取ってみた。巻末の「謝辞」を見ると、実際には「小惑星の大半は軌道が把握されていて、衝突する可能性のものはほとんどない」のであり、しかも「8年も前に衝突を宣言することは難しい」とのこと。 これで何となく安心して、ようやく読む気になった。私って単純である。 結論から言うと、すごく良い。 ここのところ伊坂作品に独特の「臭み」を感じて、距離を置いていたが、そういう臭みが本書にはない。 伊坂幸太郎は一段高いレベルに上がったなぁ――と、シロウトのくせに(しかも【終末のフール】が怖くて読めなかったヘナチョコ読者のくせに)生意気なことを思った。 物語の舞台は仙台市北部の「ヒルズタウン」という住宅地。 5年前に「小惑星が衝突する」と発表があったとき、人々は死の恐怖に怯え、「どこそこは安全だ」というデマに踊らされてヒルズタウンから逃げ出し、あとに残った人々も食料の買い溜めに走った。さらには強盗、殺人、自殺が頻発し、学校や会社に行く人はいなくなり、社会のシステムは崩壊する。 地球がどうにかなるよりも先に、人間の心が壊れたわけだ。 冷静に考えれば、地球全体に大異変が起こったら逃げ場所がないことは明白だ。死ぬのが怖くて自殺するというのも矛盾した話だし、人を殺しても状況は何ひとつ変わらない。 発表から時間が経つうちに、人々はしだいに落ちつきを取りもどし(というか、騒ぐことに飽きて)、ヒルズタウンは何事もなかったように静かになった。 さて、残りの3年間をどう過ごすか。決して長くはないが、短いとも言えない微妙な残り時間。 学校や会社など「行かなければならない場所」がない。大学受験のために勉強する必要もない。マンションのローンを真面目に払う意味もない。人々は義務感をともなう行動から解放され、自分のやりたいことだけをやればいい。 人間が義務という殻を脱いだとき、残るものは何だろう。 復讐に走る人がいる。これまで通りのトレーニングを黙々と続けるボクサーもいる。恋人と残り時間を一緒に過ごそうと思う女の子もいる。 小惑星の話は現実ではないにしろ、人間ひとりに与えられた時間は限られている。その時間の終わりがいつ来るかは誰にもわからない。 最後に残ったものが恨みつらみや後悔だった――なんてことは、できれば避けたい。
「現在」の話と「二年前」の話が交互に語られて、ひとつの結末へとなだれこんでいく。 「現在」は「椎名」という大学生の男の子の視点で、「二年前」は「琴美」という女性の視点。 現在の話に琴美は出てこないし、二年前の話に椎名は出てこない。 だけど、椎名も琴美も似たような話し方なので、どっちがどっちだか、わかんなくなってくる。 伊坂作品に出てくる人たちは、男も女も、ぶっきらぼうな話し方をするよね。それが「あら、照れ屋さんなのね♪」と微笑ましく思える作品もあるけど、この作品では男女の区別がつかなくて困った。 伊坂幸太郎は女性を書くのがあまり得意ではないみたい。 それに、現在の話と二年前の話がクロスするのは、本のずうっと後ろのほうなのね。 だから登場人物が何をしたいのか、何を考えているのか、かなり読み進んでもさっぱり浮かんでこなくて、私にとっては少しイラつき気味の読書となった。 この作品は映画化され、撮影はオール仙台ロケだと聞く。(もう終わったのかな?) 映像で見れば男女の区別に悩むこともないし、かえって楽しめるかもしれない。
面白いよ。うん。面白い。 ミステリーなのでネタバレもしたくないけど、ざっくり言っちゃえば、誘拐事件が起こる。 で、どういうわけか、成瀬・響野・久遠・雪子のギャング4人組が事件を解決しなきゃいかん状況に置かれるという話。 ギャングたちの軽妙な会話があり、その果てに悪人は成敗され、なおかつ死人が出ないので読後感がさわやか。オチも良い。 うん。面白いです。 前作 【陽気なギャングが地球を回す】とのつながりも微妙にあるようだけど、そっちを読んでない人でも気にしないで本作を読んでいいと思う。 (私なんか前作を読んだけど内容をあまり覚えてなくて、でも本作を読んだら思い出した) ……でも、事件のカラクリを理解するのが大変だった。 ギャングたちの会話の中で事件のカラクリが語られるからさぁ。言葉遊び的なものがありつつ、事件のカラクリも理解しつつ――という読書は、けっこうきつい。私って頭わるいのねー、って、いまさらながら実感した。 カラクリを追うだけで精一杯で、イメージで遊ぶ余裕がないのよね。 正直を言えば、私はこういう「カラクリ」のある作品より、あんまりミステリーらしくない 【砂漠】とか 【重力ピエロ】のほうが好き。 世間の皆様はミステリー色の強い伊坂本を心から楽しくお読みになっているようで、羨ましい。 世の人がわれより偉く見ゆる日よ――と詠ったのは石川啄木だったかしら。
【重力ピエロ】文庫化記念。 伊坂幸太郎5回目の直木賞ノミネート記念。 ダブル記念の妄想キャスティング。 遺伝子を扱う会社につとめている「泉水」(いずみ)には、小出恵介。  その弟の「春」には、錦戸亮。  公務員の父。小日向文世。  元モデルの美しい母。細川ふみえ。  小説【重力ピエロ】(単行本)についての私の感想は こちら。 ヘビーな内容だし、このエンディングには様々な意見もあろうし、映像化が実現する可能性については何とも言えないが、あるとすれば、やはり映画かな。ドラマは無理っぽい感じがする。 願わくばオール仙台ロケで。 そして私はナマの小出恵介と錦戸亮を見に行く。
仙台の某書店で伊坂幸太郎氏を見かけたことがある。 私は文庫本を物色しながら、ちらりと隣の客を見て、「どこかで見たような顔」と思ったけど、そのときは思い出せなくて。 あとから思い出した。 あの人、伊坂幸太郎。 (呼び捨てで失礼しました) いま【重力ピエロ】を読みながら、「サインもらいたかったな……」とため息をつく私。 ところで、この本、あとがきの代わりに参考文献がずらりと書き並べてある。 たとえば伊坂氏が書店でどんな本をチェックし、どんな本を買うかを見れば、この先どんな小説を書くのかがわかるかもしれない……と、ふとバカなことを考えた。 でも、そんなこと無理だろうな。 この小説の舞台になってる仙台駅東口の風景だって、私、よく知ってる。 東口のほうのお寺に、うちのお墓があるので、あのへんには小さい頃からよく行ってるのね。 小説の27ページに出てくる「仙台駅を通る在来線の線路を跨ぎ、東側と西側を横断するため」の歩行者用の地下道も、何度か見たことがある。(薄暗いので、さすがに通ったことはない) だからって、その地下道に特別な何かを感じたことはないし、まして小説を書こうなんてね。かけらも考えたことはない。 伊坂氏が読んだ本を読み、伊坂氏が目にしたであろう風景を見ても、シロウトの私には伊坂氏のような小説は書けないのだなぁ。当たり前だけど。 悲しいといえばこんなに悲しい小説はないけれど、ラストは奇妙な清々しさに満ちており、明るいような暗いような、重いような軽いような不思議さ。 半分しか血のつながりのない兄弟がいる。 母親が強姦魔に襲われたときに生を受けた子供。それが弟。 広い心を持った強い父親。もとモデルの美しい母親。弟おもいの兄。そして絵を描くのが上手な、母親に似て美しい顔立ちの弟。 危ういバランスを保ちながら、互いを思いやって生きている4人家族だけど、母親は早く亡くなり、父親は癌で入院する。 兄は遺伝子を扱う会社につとめながら、弟の忌まわしい血脈を思う。 弟は、街の中の落書きを消す仕事をしている。恋人はいない。自分の出生の秘密を知って以来、性的なものを一切よせつけない。 兄弟は父の病室をたずねて、3人で穏やかに話したり笑ったり、普通の家族らしく振る舞うけれど、心の奥底に秘めているものは3人それぞれに違う。 それぞれの思惑がある1点で集束したとき、ひとつの事件が起こる。 小説の中身を詳しく語ってしまうのも野暮なので、このへんでやめておこう。(私自身がネタバレ大嫌い人間なんです) ひとつだけ言っておくけど。 犯罪には2種類ある。 ひとつは、どうしようもなく苦しい状況に置かれた人間が、やむにやまれず、おかしてしまう犯罪。 もうひとつは犯罪そのものに快楽を感じている犯罪。 どちらも罰せられなければならないけれど、快楽型の犯罪は怨恨のタネを世間にまきちらす分、いっそう罪ぶかい。
この記事は「この作品が映像化されたら、この役者に出演を依頼したい!」という妄想のもとに作成されてます。 本当に映画化が決まったわけじゃないので、誤解なさらないように。 クールなキャラの「北村」は、松田龍平。  楽しいことと女の子が大好きな「鳥井」は、オリエンタルラジオの中田敦彦。(この画像では左側)  美人で大人っぽい感じの「東堂」は、水川あさみ。  ちょっとシャイで可愛らしい「南」は、堀北真希。  「鳩麦さん」を忘れてた。星野真里とかどうですか。  自己主張の強い「西嶋」は、誰がいいだろ? 思い浮かばない……。 「西嶋」役の俳優さんについて、どなたかご意見ください。 《追記》 ・このあと、西嶋役については「サンボマスターの山口隆で」というご意見を寄せていただいた。  ・日本テレビ『ナイナイサイズ!』にオリエンタルラジオがゲスト出演したとき、「共演したい女優さんは誰?」と質問された中田敦彦は、「堀北真希ちゃん!」と答えたので、私はテレビの前でかなり驚いた。
あなたは「学生時代に戻りたい」と思いますか? 私は…… 学生時代、楽しかったけど、戻りたいとは思わない。 学生時代は辛い。毎年、試験が何回もあるし。レポート書いたり、宿題があったり。 世間の流行をいちいち追わなきゃいけない、という固定観念に縛られてるし。 クリスマスシーズンに失恋なんかしたら、もう悲しくて悲しくて仕方ない。「いまごろ他の人たちはデートしてるのに、あたし何やってんの!?」なんて言って号泣したりして。 やらなければならないことが多くて、世間からは「学生のクセに」とか「学生だから」とかガーガー言われて。 やたらとプレッシャーが多いのに、「若さ」という名のエネルギーがマグマのように煮えたぎってる。 「若さ」と「バカさ」は、ほとんど同義だ。 (「バカさ」とは成績や知能の話ではなくて、「あとさき考えずに行動する」「思慮分別がない」という意味です。念のため説明させていただきました) 活火山のごときマグマに抑えが効かず、ついやらかしてしまった バカさゆえの過ちが、あなたにはないだろうか? ――私? ええ、あります。 仙台の大学に通っていて、楽しい思い出もいっぱいあるけど、ほんとにバカな学生だったもの、私……。 この小説【砂漠】の舞台は仙台。 著者の伊坂幸太郎は東北大学の出身で、仙台を舞台とした小説をよく書いている。 私は東北大学よりも校名の長い私立大学の学生だったが、この小説の冒頭に出てくる「仙台の繁華街にある、全国チェーンの居酒屋の二階」みたいなところで飲んでいたのは同じ。 懐かしいな。 さらに小説を読み進めると、登場人物が、実にバカなことばっかりやらかしてくれる。 東北大学の学生だから偏差値とかそういう意味では優秀よ。 だけど、無謀なの。あとさき考えてないの。まさに学生時代の私。 大人になった私たちには、そういう無謀さがせつない。「ムチャクチャやって楽しかったな」と思っても、もう戻れない。 「あのときはムチャクチャやってしまったから、戻ってやりなおしたい」というのも無理。 二度と戻れない若い日々。 無謀な若者たちが卒業式を迎える場面は、すごくいい。砂漠のごとき実社会に出ていく若者たちの心には、期待もあれば不安もある。むしろ不安のほうが大きいのかな。 でも「大丈夫、おれたちはずうっと友達なんだし」と自分に言い聞かせる。 実際に大人になってしまった私には、学生時代の友人関係をキープしていくのが思ったほど簡単ではないことはよくわかる。だからといって若者たちを小ばかにする気持ちにはなれなくて。 むしろ「砂漠みたいな世の中だけど、どうにか頑張れよ」とエールを贈りたい。 最初のうちは、主人公の妙に冷めた態度が気になるといえば気になるが、読んでいくうちに、だんだんわかってくる。 この人は冷めた振りをしているだけね。すごい照れ屋さん。 タイトルは「砂漠」じゃなくて「砂漠の雪」でもいいかも、と思ったが(なぜ「雪」なのか、わからない人はこの本を読んでください)、主人公が照れ屋さんキャラだから、あえて乾いた感じの「砂漠」とつけて正解かな。
「嘘を見抜く名人」とか「正確な体内時計の持ち主」といった、ちょっと変わった銀行強盗が登場する。 非現実的だが、強盗の話でリアル感だけを追求するとシャレにならない。ニュースとか新聞を見れば、そんな殺伐とした話はいくらでもあるんだから。 現世の生々しさから少し距離を置いて、銀行強盗の犯人たちの軽妙な会話を楽しみつつ、パズルを完成させるようにトリックを読み解いていく小説。 しかしトリックを解くカギは、ていねいに小説の中に書き込まれていて、私みたいにボーッと本を読んでる人間でもわかる。ていねい度が少し高すぎて、中盤は少し説明的かな。 2時間もののサスペンスドラマで、ヒロインが崖の上かなんかで犯人を追いつめ、事件の謎を長いセリフで解説する場面。あんな感じを思い出した。 ただ、この小説の場合はヒロインが1人で事件を説明するのではなく、登場人物の会話の中で、だんだん事件が解明されていくのだが。 ラストシーンはイタリア映画みたいでカッコいい。 そういえばこの作品は映画化されたのであった。 原作のカッコよさが活きた作品であればいいと思う。
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